2005/01/10

ガバナンスと政策決定過程

NYフォーラムの皆さん、初めまして。田瀬さん、少しお久しぶりです。

ニュージャージーのRutgers大学でGlobal AffairsのPhDコースにいる長田達也と申します。田瀬さんの投稿がとても興味深かったのでそれについて書かせていただきます。
 現在ぼくはグローバルガバナンス理論に関連する地球温暖化レジームにおけるトランスガバメンタル関係について博士論文を書こうとして悪戦苦闘中です。まるでワケが分からないですね(笑)。もう少し(おおざっぱですが)説明させていただきます。グローバルガバナンス理論とは、国家中心、細分化されたイシュー中心の国際政治理論の限界を乗り越えるべく構築されつつある、非国家主体も含めた多様な主体による地球的秩序形成の実態の理解を目指す理論です。グローバル・イシューの叢生と冷戦終結後の新世界秩序の模索がその社会的・歴史的背景にあります。
 レジームとは特定問題領域で形成される公式・非公式のルールで、国際条約・合意とその運用に関わる慣習のことです。ここ20年余り国際政治研究の主要な対象の一つでしたが、地球秩序というのは細分化されたルールだけを見てもつかめませんので、限界があります。そこでより一般的なルールであるガバナンスという概念を使ってもっと大きく木だけではなく森を見ようということになるわけです。ぼくの場合は温暖化というのは多くの関係者を巻き込むの焦点なので、温暖化から地球秩序を見てみようというわけです。
 ここに、トランスガバメンタル関係が絡みます。和訳すると「政府横断関係」というところで、違う国の政府の役所や役人同士の(主として)協力関係のことです。役所や役人はそれぞれに担当する政策領域や課題があるわけで、政府内部でもそれぞれの所掌事項に基づいて意見が異なるので、国内の対立する政府関係者よりも外国政府の同様の課題をもつ省庁・役人と知識・問題認識・政策等での一致や(しばしば暗黙の、あるいは無意識の)共闘関係をもつ可能性があるということです。(これは超国家的な利権構造や腐敗にもつながる可能性がありますが、ぼくの研究対象ではありません。)グローバルガバナンスをこのトランスガバメンタル関係の視点で見ると、細分化された問題領域で一致する認識をもつ省庁や官僚が中心となって形成する国際レジームの集積体が現在の地球秩序の大部分を作っているということになります。そうすると、そうしたトランスガバメンタル・ネットワークがどんな認識をシェアしつつレジームを形成しているかは現在行われているグローバル・ガバナンスの評価にとって重要なポイントになります。

 こういった問題関心から田瀬さんの書かれた事を読みますと、非常に興味深いのです。国家の代表として交渉に参加する官僚のdecision takerとしての役割は、ただの御用聞きではなくて、(いい意味でも悪い意味でも)決定をぶんどる、という意味でのtakerにもなりうるということですよね。そうするとdecision takersの間で何が考えられ、信じられているかが国際政治を理解する 上でもっと知りたいところです。

 二つ目に興味を感じたのは、国際交渉に関与する人たちがどの程度までトランスガバメンタルな認識のネットワークやコミュニティを形成しているのか、ということです。各国政府関係者はどの程度まで他国の関係者との関係と築けているのか、または、相手国の国内事情を配慮して、自分が望ましいと考える外国政府関係者へのてこ入れを行っているのでしょうか。

 第三に、本来国内問題を扱っていたはずの省庁が国際交渉に出てくることが多くなった現在、外務省はどのような役割を果たしているか、にも興味を感じました。田瀬さんも書かれている環境問題でも調整の際、外務省は異なる専門知識を背景に衝突する経済・環境省庁をどのように調停しているのでしょうか?国家首脳・政治家・専門知識・関係団体などはどうからむのでしょう?

 以上のようなことについて考えさせられました。NYフォーラムに参加している皆さんはどう思われるでしょうか?

長田達也
tatnagata@hotmail.com
PhD Student, Center for Global Change and Governance                         Rutgers, State University of New Jersey, Newark

追記:グローバルガバナンスに興味をお持ちになった方は以下の文献をあたって見てはいかがでしょう。

Jon Pierre, ed., Debating governance      一冊で概観できます。おすすめ。
Rosenau, James, and Ernst Otto Czempiel, eds., Governance without Government 国際政治学   
Young, Oran, Governance in Global Affairs レジーム論からガバナンス論への展開
Young, Oran, ed., Global Governance    環境レジームからの知見
Rhodes,Understanding Governance      行政学のガバナンス

3 Comments:

At 1:54 PM, Blogger Team UN Forum said...

長田さま、NYフォーラムのみなさま
 いつもお世話になっております。よしはらけんご拝@外務省地球環境課(防災世界
会議のためまもなく神戸に出張。)です。
 少しはしょって恐縮ですが、長田様のご質問に答えつつ、課題を披露します。
環境条約のガバナンスの問題は古くて新しい問題であり、ストックホルムの人間環境
会議の頃から議論されているテーマです。近年もガバナンスに関する国際会議があっ
たり、専門機関構想などが常にその環境問題への取組の効率化、一体性の重視から考
えられてきています。
ちなみに、リオデジャネイロサミットにより発生した砂漠化対処条約、生物多様性条
約、気候変動枠組み条約のいわゆるリオ3条約は、はやくもそれぞれの個別の重大性
とその予算の制約からシナジーの形成が焦眉の急となっております。
また、代表団編成については、最近もPIC、カルタヘナ議定書への加入等国内社会へ
の影響が大きいことから担保措置(立法を含む)をになう国内省庁の参加が不可欠と
なってきております。かつては国内省庁より外国語を解さない、ないしはお疲れさま
的な代表団参加があったかに聞いておりますが、最近はそのような余力はなくなって
きております。なお、彼らはぎりぎりと政府内で詰められた対処方針に拘束されます
し、外務事務官の併任を受け、外務大臣の任命する団長の指示にしたがうこととなり
ます。小官の出張した交渉では、総論的な交渉よりも、こうしたマーケットや法規制
を前提とした各省庁のネタこそ熾烈な角逐が起こる分野とさえいえます。
 しかしながら、条約交渉またはその条約体の行財政にかかわる交渉はその義務の履
行の関係から外務省より団長を確保することが必要となります。現在は環境条約、ま
たは環境に関わる国際機関の交渉がかなりの量になっており、団長及びその補佐を確
保すること、また、それを繰り返すことによりわが国の環境外交の一貫性、縦深性を
確保することが外務省にとっての課題です。また、日進月歩の環境交渉に対応するた
め顧問を連れて行くことが重要となってますが、例えば国立大学の教授が非公務員と
なり、守秘義務をかけた上で参加いただくことが、多少煩瑣になっております。
 例えば、南極条約の近年の交渉はかなりの部分こうした法律顧問によることが多く
なってきております。また、
外交交渉のみならず南極条約環境保護議定書は担保措置を担う環境省等同士、南極観
測を担う研究所どうしの交流(電子上を含む。)も深くなってきており、熾烈な政府
交渉の深さを与えつつも、共通の公益意識が醸成される傾向があります。
 また、小官の属する地球環境課は、本年はまもなく開催される国連防災世界会議、
そのまえは京都での世界水フォーラム、またはヨハネスブルグサミットなど超ドキュ
ウの会議が毎年1回はあり、その準備と輻輳しながら、細やかにかつ世界の僻陬で開
催される会議にも対応しなければならないとの課題があります。
 なお、最後に余話として冒頭のストックホルム人間環境会議では当時の世界環境機
関構想に大阪が乗った形跡があり、現在も大阪の花と緑の博覧会跡地及び滋賀に国連
環境計画の事務所があります。これらは、
長年の琵琶湖から淀川水域と京都大阪の都市水域の管理の知見から誘致されたもので
すが、最近はイラクの環境省職員が研修を行うなどの事業もおこなっています。
 また、会議が終わったら落ち着いて議論に加わります。皆様もご健勝にて。
よしはらけんご拝@外務省地球環境課

 
At 5:46 PM, Blogger Team UN Forum said...

そういえば、国境を越えた各政府機関同士の交流については、我が国の外務省、財務省などでも、各国のカウンターパートと一定期間約束事を定めた上で、それぞれ相手国側の職場で仕事に従事させるということが始まっています。
 確か、日英外務省でも双方がそれぞれ相手国の職員を受け入れて仕事をするということがもう10年続いており、最近は我が国の財務省でも行われていると聞いています。
 そういえば、以前南極条約の交渉に行ったときに従来はカナダ政府にいる外交官が豪の外交官となって交渉に携わっているのをみたことがあります。英連邦は現在英女王が共通の元首ですからあたりまえなのかもしれません。
 国内でも赤穂と吉良が職員を交換することすら近年起こっているのですから、面白い「化学反応」がおこることも期待できるのでしょうね。我が国でも、国際機関に出向すれば母国だけを向いて仕事をすることは職責上は許されないはずです。ある意味、一社に忠誠を尽くして働き続けてきた社員の弊害が出て、社畜とさえ揶揄されてくることがあると、少しつながりを緩くして、多面的なidentity(自己同一性)をもった方が人間同士は幸せにいきらせるのかもしれないと、早朝の朦朧としたあたまで考えていたりします。時には相手の側に立って仕事をしてみることも、いいことだし、頭だけでなく一旦相手側の職責を担うこともいいのかもしれません。

よしはらけんご拝@外務省地球環境課

 
At 1:10 PM, Blogger Team UN Forum said...

吉原さん、フォーラムのみなさん、こんにちは。

 お返事遅れてすみません。吉原さんの(参加しやすい雰囲気を重視したいので、さん付けで呼ばせてください)ご投稿は実に興味深いものでしたが、また専門的なのでここ数日いろいろ考えていました。まだ完全に理解していないかもしれませんが、それなりに思ったことを書かせていただきます。


>リオデジャネイロサミットにより発生した砂漠化対処条約、生物多様性条約、気候変動枠組み条約のいわゆるリオ3条約は、はやくもそれぞれの個別の重大性とその予算の制約からシナジーの形成が焦眉の急となっております。

 環境条約の協働の背景についてですが、これらは一緒になり、一方他の条約とのシナジーが模索されていないことが政治を研究するものには興味深く思われます。三条約に関して一つには背景となる考え方の一致(予防原則や環境保護の思想)、二つ目は達成目標同士の相互の連関(砂漠化は温暖化を推進するなど)、三つ目は担当する人同士の交流、四つ目にリオで一緒だったから、など考えつきました。これらが緩やかな環境条約の連合体を形成していき、地球的環境組織(GEO)へと至る可能性が(漠然としていますが)あるように思います。
 ただこの方向でのシナジーは、貿易、金融、開発など他の領域と対峙する環境ガバナンスの形成へと至るということですよね。それは環境保護が確固とした位置をガバナンスの中で占めるという点で意味がありますが、反面境を作るので、他の領域へと「越境」し続けなければいけないんでしょう。



>彼らはぎりぎりと政府内で詰められた対処方針に拘束されますし、外務事務官の併任を受け、外務大臣の任命する団長の指示にしたがうこととなります。
>小官の出張した交渉では、総論的な交渉よりも、こうしたマーケットや法規制を前提とした各省庁のネタこそ熾烈な角逐が起こる分野とさえいえます。


 政府として一貫した「対処方針」を持つのは当然ですが、国内で意見の相違のある紛争的なイシューでの「対処方針」は国際交渉でどの程度貫徹できるものなんでしょうか?
 たとえば京都会議の際の日本のポジションは妥協せざるを得なかったと思いですが、どうなんでしょうか?竹内敬二氏は「地球温暖化の政治学」で、諏訪雄三氏は「日本は地球に優しいのか」の中でそれぞれ京都会議の際の省庁間対立に基づく日本政府の内部の不一致を記述しています(エネルギー資源庁長官が環境庁長官に「日本の経済はどうなる」とつめよった、など)が、どう思われますか?温暖化という問題の複雑さ故の例外なのでしょうか。


>しかしながら、条約交渉またはその条約体の行財政にかかわる交渉はその義務の履行の関係から外務省より団長を確保することが必要となります。
>団長及びその補佐を確保すること、また、それを繰り返すことによりわが国の環境外交の一貫性、縦深性を確保することが外務省にとっての課題です。

 団長を務める資質のある人材の確保による環境外交の一貫性とはどの程度の期間を想定している一貫性なのでしょうか?特定の人物が継続して交渉を主導できる数年間の一貫性でしょうか?それとも一定の認識を共有する集団から交渉団長を出すことでより長く、深い一貫性を追求しておられるということなのでしょうか?どちらがよいとはアウトサイダーからはいえません。さまざまな制約についての知識がなく、何が現実的な期待か分からないからです。
 環境外交の一貫性というと、安定した国内合意から生まれる国家目標に基づいた外交が最大の難題に思われます。またその一貫性は個々の問題だけではなく、問題間の関連も十分に考慮される必要があると思います。
 ここでまた質問なのですが、外務省は環境外交の方針を決定する上での独自の資源をどのくらい持っているのでしょう?環境・経済に関する専門知識の蓄積、接触する関係国内団体(利益団体やロビイスト)、明確な環境外交上の原則などです。外務省はむしろそれらを持つ環境省、経産省の調停役(いうなれば原告と被告からの証拠に基づいて判断を下す裁判官のような)と思っているのですが、このイメージはまちがいでしょうか?たとえば地球温暖化問題では、どのような団体が外務省に来て政策決定での影響力を行使しようとするのでしょう?
 ここでちょっと面白く思ったのは、対ソ「封じ込め」論で有名なジョージ・ケナンがForeign Affairsで書いていた論文で国内省庁の国際交渉での登場機会が増えて外交省庁の役割が縮小しているということを論じていたことです。各省庁が「外務局」のようなものを強化してしまうと、外務省の役割には何が残るんでしょう?
 交渉のスペシャリストに一層特化するか、古代中国の説客の様な「合従連衡」を論じるか。もうひとつこれから一層重要になるのが「グローバル・ガバナンス」なのではないでしょうか。いわゆる「天下国家」の「天下」の部分です。世界の全体像を把握してそれを指導するのは実に難しいことで、それのできる真のジェネラリスト、世界の問題を個々の問題の雑多な集積としてではなく、有機的な関連を見出して一般方向を示せる人材は少ない。特に国際貢献を国際社会からもらった宿題をすることだと考える傾向が強い日本では特に少ない。部分部分の活動を統合して世界秩序全体にとっての帰結を考えていく役割を日本の中で誰、あるいはどんな組織が担えるのか、これは21世紀の日本にとっての課題だと思っています。


>熾烈な政府交渉の深さを与えつつも、共通の公益意識が醸成される傾向があります。


 新しいほうのメールにお書きになっていたこととも関連しますが、政府の官僚は国家に対する忠誠を要求されつつも、同時に国家のために何をなすべきかについて考える過程で国民全てと一致することはできませんよね。そこには政府関係者が国民のためを言いつつも、特定の認識、価値、理想、にコミットする可能性がありますね。


>我が国でも、国際機関に出向すれば母国だけを向いて仕事をすることは職責上は許されないはずです。ある意味、一社に忠誠を尽くして働き続けてきた社員の弊害が出て、社畜とさえ揶揄されてくることがあると、少しつながりを緩くして、多面的なidentity(自己同一性)をもった方が人間同士は幸せにいきらせるのかもしれないと、早朝の朦朧としたあたまで考えていたりします。時には相手の側に立って仕事をしてみることも、いいことだし、頭だけでなく一旦相手側の職責を担うこともいいのかもしれません。


 アイデンティティの問題なのですが、ある意味日本人は恵まれているのではないでしょうか。自分の国に自信がもてず、他の国を貶めなければ自分の国を良いと思えない人々も多いですから。現実的な意義にもとづかない無条件の「忠誠」というのは苦しいものですが、忠誠の対象にコミットする根拠がその対象のパフォーマンス(?)に基づいていればその現実的利益や意義の信奉は変わらないと思います。現在いろいろ問題を抱えてはいますが、日本という国の状況は他に比べて相当恵まれていると思います。アメリカにいてたまに日本に帰ると全てが良く見えます。
 日本というものの存在に積極的意義を見出すことができる限り、日本を支持することには確信がもてますし、また逆に他のよいものも素直に楽しめるように思います。ぼくはステーキや寿司を楽しむように日本やアメリカの良いところを楽しんでいます。また、いいものほど問題があれば直していこうと思えるんじゃないでしょうか。


 またいろいろ書いてしまいましたがご容赦ください。



長田達也     tatnagata@hotmail.com

    PhD Student,
    Center for Global Change and Governance
    Rutgers, State University of New Jersey, Newark

 

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