2005/02/24

台湾/ローカルジャスティス

UNフォーラムの皆さん、こんにちは

長田さん、いつもガバナンスに関する投稿をありがとうございます。日本が主張する「モダン」な捉え方と、アメリカが主張する「ポストモダン」な捉え方という整理もとても分かりやすいと思いました。一方で、社会の状況としては日本もアメリカと別の意味でポストモダンな部分を持っていて(このことは10代、20代に顕著だと思いますが、実は年齢性別によらないとも感じます)、日本社会はプレモダンとポストモダンの混在かなと思います(主流の「主張」はご指摘のとおり「モダン」ですが)。

台湾問題への言及もありがとうございます。長田さんのご投稿を読んだ直後にNYタイムズで関連の記事を読み、タイムリーだと思った次第です。台湾問題というのは、ある見方では「内戦」civil warだと思います。ホッブズ以来、「外戦の理論」はあるが「内戦の理論」というのは追求されてこなかった、という指摘をなにかで読んだことがあります。もし「外戦論」に対置する「内戦論」の最前線をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご投稿いただければと思います。

次に、ローカルジャスティスについて。ジャスティスにも、パーソナル、ローカル、そしてグローバルの3つがあるように思います。「公共の討議」は、西欧出自のパーソナルかつローカルなジャスティスだと思いますが、このジャスティスの特徴的なことは、まさにパーソナルであるがゆえに、最初はローカルだった(今もある意味そうですが)にも関わらず、「ポータブル」だということだと思います。私はこの理由は、人間が誰でも「精神/理性」、さらには思考能力/言語操作能力を持っているからだと考えています。

それに対して、非西洋(西欧において「東方的」/「南方的」とされるものも含みます)のジャスティスは、いまのところ土地に張り付いていて、「ポータブル」でないもののように見えます。つまり、「パーソナル」というだけでなく、「ローカル」であるという重みが大きいように見えます。しかし、今後グローバルかつパーソナル、すなわちポータブルなジャスティスについて議論していくにあたって、ほんとうに土地に張り付かざるを得ないものが何であって、実はその必要がないものは何か、という区別はとても重要だと感じています。

言い換えれば、これまで身体的/非言語的/文脈依存的/土地束縛的であったものを、「言語化」/「概念化」することで、初めてローカルなものが、グローバルかつパーソナルなものになると考えます。日本の文化/ジャスティスは、(非日本人にも了解可能な)言語/概念となって初めて、「地球/人類の文化」の一つになるのではないかと思います。ローカルなものは、ただそのままであってはグローバルなものになりえないし、実はパーソナルなものにもならないと感じています。

日本の文化の長所として私が考えるもの(の一つ)は、状況に応じた自分の役割の判断とその役割の遂行、です。この規範は日本の文化を体現する身体のすみずみに行き渡っているような気がします。日本以外のカルチャーと接点をさまざまにお持ちの皆さんは、どのようなご意見/体験をお持ちでしょうか。

中村秀規
コロンビア大学SIPA/MIA

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