2005/03/12

国連の英語

NY国連フォーラムのみなさまへ。田瀬より。

語学力について私が投稿する資格があるかわかりませんが、日曜日なのでちょっと変わった話題を。

国連や国際機関やNGOで働くのに必要な英語(ほかの言葉でもいいです)の力というのはどんなものだと思われますか? 映画が全部解るくらいの聞き取り能力? ネイティブ並のスピードで喋る力? 100ページのペーパーでも2時間くらいで読んじゃう力? それともさくっとレポートを作成できる作文能力でしょうか?

もちろんどれも必要ではあると思うのですが、私がいつも感じているのは「話し手・書き手の意図を正確に理解しさらにその先を想像する力、それと、自分の立場について徹底的に正確に言い分け・書き分けられる能力」の必要性、言い換えれば実質的内容(サブスタンス)の力です。その意味では、外国語・英語の能力というより、むしろ母国語の能力とそもそも考える力がいちばん必要なのではないかと思います。

それからもう一つは、「難しいことや複雑なことを相手に解る表現で(つまり簡単に)伝える能力」ということでしょうか。正確な言葉の使い分けや概念整理ができても、相手に理解できなければ意味がありません。人間の脳みそはラジオみたいなもので、相手と波長が合わなければ情報は伝わりませんから、相手が受信できない周波数でいくら電波を飛ばしてもムダなわけです。私も難しいことを簡単に教えてくれる人にはいつも感服します。

国連で日本の代表のスピーチや発言はみんな比較的よく聴いてくれるというのが私の印象です。日本人は外交官や他省庁の官僚を含め、英語がネイティブ並にすらすら話せるという人は残念ながらほとんどいません。にもかかわらず他国が日本の発言にある程度耳を傾けてくれるのは、発言にある程度実質的内容があり、表現についても(必ずしもエレガントでなくとも)よく考えられているからだと思います。逆に、一部諸国の代表はやたら発言時間だけは長いですが、実質的内容に乏しい場合もあり、必ずしも評価されているとは思えません。ましてネイティブでも早口で何言ってるか判らないような人はゼンゼン×だと思います。

国際機関職員も同じです。「聴かせる人・読ませる人」の発言や文章には、短くてもなるほどと思わせる内容があり、内容があれば表現が多少拙くともみんな聴いてくれます。また、誰かの発言の真意と意図を正確に把握しこれにぴったり対応するような仕事をすれば、その人は自分を理解してくれる人を見出したと感じて評価は高まります。緒方貞子さんやブラヒミ次長、リザ前官房長など偉大な人たちを見ているとこうした能力が飛び抜けて高いことが感じられ、自分の力のなさを痛感します。逆に国連には、こういう力が不足している人も実はたくさんいます。

こうした実質的な力が十分にある上で、より正確な語彙を知っていたり発音がよかったりすれば鬼に金棒なのだと思います。私は「ツールとしての英語」の訓練として通訳の修業をやりましたが、通訳の仕事というのはまさに、Aさんの意図を正確に理解してそれをBさんに解るように正確に伝える、同時に英語や日本語そのものの質も要求される、かつ自分は黒子に徹しなければならないという点で、ある意味真の語学力が要求されるわけです。かといって、同時通訳が完璧にできる人が必ずしも国際機関で働ける力があるわけではありませんけれども。

コミュニケーションは難しいといつも思います。語学力を含めて、総合的なコミュニケーション能力を身に付け高めるためには、相当な努力と時間が必要なのでしょう。特に将来国際機関で働きたいと思っている学生の方々には、英語が母国語のようにできなくても少なくとも諦める必要はないし、逆に完全にバイリンガルでもそれが仕事ができることとはほとんど無関係であることを強調したいと思います。

それにしても国連ではいろんな英語が話されています。私自身はインパキ系の英語が苦手で(インド・パキスタン等南西アジア諸国の人たち)未だに聞き取れません。オーストラリア、ニュージーランドも鬼門です(イーの発音が全部アイになったりする)。アフリカの英語も独特の訛りがあり、かつ論理展開も違うので難しいです(それに長時間聞いていると写るンです)。米国人が喋るとホッとするのは、かなりアメリカに毒されている証拠でしょうか。まだまだ修業が足りませんね。

ではまた。

1 Comments:

At 1:24 AM, Blogger Team UN Forum said...

国連フォーラムの皆さん、ユニセフの久木田です。

田瀬さん、紀谷さん、

国際場裏で使われる英語についてのお二人のご意見楽しく読ませていただきました。国連で英語を使って仕事をしていると私も同じようなことを考えます。まずは、伝えたい内容が受け手にとって意義あるものかどうかが大事だと思います。その次にわかりやすい発音と的確な語彙を使うこと、そして相手の思考を考慮した論理展開をすることだと思います。

例を挙げると、この二日ほど、私の部のP-5ポストの人選のためにインタビューをしているのですが、電話や面接で各候補の能力を判定していく過程で、英語の流暢さではどうにもならない内容(サブスタンス)と人格の点で大きな格差がでるのを改めて感じました。ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語なまりなど、英語を母国語としない人々が候補でしたが、各質問をどう理解して、どのような例を使って、どう説明するのか、それぞれいくぶん特徴のある英語で応答しながらも、的確に自分の理解や判断を伝えることができる人がいます。簡潔に、わかりやすい英語で、面接官が何を聞こうとしているのかをよく考えて応答できる候補の場合はこちらも楽しくインタビューできるのですが、あることないこと喋り捲るのではそれだけで失格ということになります。

ところで、英語は国際言語としてますます大きな役割を果たしていますが、それゆえにいわゆる英国英語や米国英語を超えた「国際英語」というのが発音の点でも、語彙や文法の点でもあるように思います。誰が聞いてもわかりやすい発音というのがあります。それは、BBCの英語と幾分にていますが、もっとアメリカ東部の発音のカドがとれたもので、母音と子音の発音を南アジアやアフリカの人々のように比較的明確に行います。それをそれぞれの母国語のなまりで香りをつけたようなものです。語彙の選択も意味が国際的に共通理解されているもので、慣用句を多用しないものです。

「なまり」については、国際英語の中ではVariationであり、あまり強すぎず理解可能であればよいのではないでしょうか。ただ、RとLや、PとF、VとWなど明らかに異なる発音は聞くほうの慣れの問題があると思います。私は、高校の時にシェークスピア劇をLondon Shakespear Companyのレコードの通りに真似して覚え、大学で米国の南部なまりを聞き、音声学は英国のReceived Pronunciationで訓練され、大学卒業後まったく異なるなまりのある三人のフルブライトの交換教授の講義通訳を三年間行い、シンガポール留学でSinglishにさらされ、モルジブやナミビアやバングラデシュで英語を使ってきましたので、ほとんどのなまりはわかります。一番難しいのはタイ語なまりの英語とアフリカ南部のクリック音を出す人々の英語でしたがこれも今はかなりいけると思います。いずれにしろ、どれも懐かしく親しみが持てるように思います。

ある人の言ったすばらしい言葉を思い出すとき、その人のなまりとしゃべり方と顔、情動のコントロールの仕方、その場の雰囲気などを一緒に覚えています。国連でも、伝えようとする内容とその人の人格が融合し、全身からオーラが漂っていると感じるような場面に出くわすことがあります。そんな場で使われる英語には、その人の価値観や信条、人格、経歴や生活態度など、言葉の表面上の意味以上に大事なことが詰まっているように思います。

日本人が外国語として英語を使うということは大変なことですが、それを超えて日本人としての価値観や信条、論理を展開していくことは、国際社会で我々が上手に行うべき重要なことだと思います。

久木田

 

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