2005/03/25

国家公務員/国際公務員と「私」

中村さん、宮本さん、考察興味深く拝読しました。以下、簡単な私見です。

私がアメリカボケをしているのかもしれませんが、ある組織が厳然として、個を離れて存在するとどうも捉えられていらっしゃる気がします。あることに関して具体的にどのような意見を述べるか、どのような政策をとるか、など法律には細かく書いてありませんから、組織としての省なり国際機関なりが(民間企業も)どのように毎日仕事をするかは、組織の文化のようなものによるのではないかと思います。どの組織も「私」の集まりであり、一人一人が正しいとおもうことをいかに仲間に伝え、説得し、それを追求していくのかというのが、組織と個人の関係で、組織としての文化はそのなかでできてくるのであり、組織の文化はそれを構成する多くの「私」たちの思考でしょう。何とか他の多くの「私」たちの意見に「私」の思考を反映していこうとするというのが、緒方さんがおっしゃっているような積極的な貢献ではないかと思います。それがどうしても無理そうだった杉原さんのケースや、卑近な例では、IMFに入社してしまったアンチグローバリゼーションの固まりのような人がいるとすれば、そういう人は、組織をやめるかやめさせられることを覚悟で個人の理想を追求せざるを得ないのでしょう。他の組織と見比べて、移るという選択も当然あるでしょうし、または、今いる組織で毎日頑張るしかないのではないかと思います。会議で黙っている(消極的反抗)など、毎日やり過ごすというのも一つの手かもしれませんが、生産的ではないですよね(黒澤明の「生きる」を見てください、東京都庁職員の葛藤がうまく描かれています)。

植田健一

0 Comments:

Post a Comment

<< Home


Click Here