2005/03/25

国家公務員/国際公務員と「私」

UNフォーラム、DCフォーラムの皆さんへ

宮本さん、植田さん、応答ありがとうございます。

植田さんのお書きになった「ある組織が厳然として、個を離れて存在する」かどうかについてコメントさせていただきます。

企業が「法人格」を持って組織としてその他の法的主体と契約(ひらたくは約束)ができる、ということは、「個人」とは別に「個人のようなもの」を作っていると言えるかと思います(また、その法人と経営者(人間)との関係は、信任となっていて、従業員との関係とは異なり、(人間ではない)「法人」の独特な地位を示しているかと思います)。同様に、国家関係においても、国際条約の批准等において「国家」がある種の約束を他の主体と結べることになっており、そのために政権の変動など「国家」のコミットメントが企業以上に信用されないという話にも繋がるかと思います。したがって、こうした理解の上での「組織の自律性」は、現にあるのではないかと思います。卑近ですが、私が新卒でJICAに入った際に「決裁とは組織としての意思決定を行うためのもの」と知ったり、「個人でなく組織で外部(コンサルタント個人または会社)と契約する」といった経験は新鮮なものに見えました。

一方で、議論のきっかけが外務省の方の個人としての意見表明の難しさ、でしたので、「国」に焦点を当てていたのですが、「国」という所属は、民間企業や国際機関といった「職場(組織)」と違っていて、国籍という身体管理を自由意志で変えていくことは、不可能ではないですが、職場選択ほど自由ではないところがかなり違うと思われます。残念ながら、黒澤映画「生きる」は見たことが無いのですが、同様に映画のシーンを引用させていただくと、「Hotel Rwanda」で国外脱出できるかどうかが白人か黒人かできれいに分かれていくところや、さらに空港でパスポートでルワンダ人でないことが示されると黒人であっても飛行機に乗り込めるシーンなどは(これが史実に忠実かどうかは私にはわかりませんが)現在の国家という仕組みによる身体管理を正確に映し出しているように思えました。

また、植田さんがおっしゃるとおり、「カルチャー」というのはいつしかやはりどこにも出来上がっていると思いますし、それに合う人が就職/転職し、合わない人は去る、ということがさまざまの組織で起きていると思いますが、例えば行政組織は何らかの公益、企業であれば利潤、非営利組織であれば特定のミッション/理念などの追求がそれぞれの組織にかなり自律的に存在しており、多重人格的に内部の価値/行動の多様性が認められる幅にはおのずと限度があると思います。

さらに、組織は自己増殖を行う、というような意味での自律性(個の意思を越えているように思われる部分)もあるかと思います。

その一方で、組織は広く言えば社会(システム)の一部で、人間関係(個の行為の総体)から構成されるものですので、個と組織との関係は、個と人間関係との関係と言い直すことができ、こう表現すると、組織に自律性はあるものの、その可塑的・可変的な実態がイメージしやすいかとも思います。そうは言っても、「役所的/官僚的」という表現や、あるいはまた「教条的/イデオロギー的」という表現に見られるような「硬直化」が起こりうるので、それらは個の自由に対立すると主張したつもりでした。組織/制度、細かくはルールといった仕組みは、個人の自由に対してポジティブにもネガティブにも働きうると思います。私は「個(心理システム/自我)」と、「個の行為の総体(社会、組織)」との区別は可能であるとの立場で議論しています。

これで少しでも意図が伝われば幸いです。

中村秀規
コロンビア大学SIPA/MIA

0 Comments:

Post a Comment

<< Home


Click Here