2005/03/25

国家公務員/国際公務員と「私」

UNフォーラムとついでにDCフォーラムの皆様へ(二度受け取られる方はお許しく
ださい)

OECD DAC事務局の宮本です。

以下の中村さんによる行政組織における個人の自由や自発性に対する御考察、大変共感いたしましたので、両フォーラムにおいて全く関連なくも無い事を二点申し上げたいと思います。

まず、このテーマについて連想したのは杉原千畝外交官の歴史的行為です。有名な話ですが、念のため御存知のない方のために簡単に説明しますと、第二次世界大戦前半、リトアニアの日本総領事館に勤務していた氏は、日本政府の反対を押し切ってユダヤ人6千人以上に日本への通過ビザを発給して国外脱出を可能にし、彼らの強制収容所送還を回避させた人です。氏は終戦後、実質的には外務省から解雇され、職を転々としながら静かに暮らしていたそうですが、その行為によって命を救われた人々にその後探し出され、亡くなる1年前の1985年にイスラエルの最高名誉賞を授かることになりました。氏は"Righteous Among the Nations (「諸国民の中の正義の人」)"と称され、エルサレムにスギハラと名づけられた公園か道があるそうです。氏はよく「政府には背いたかもしれないが、そうでなければ神に背く事になった」という様な事を言っておられたそうです。杉原氏に関するHPは世界中多くの言語で掲載されてい
るので、もしご存知でなければご覧ください。

その時代の組織の偏狭な規律に反して、永遠普遍である「正義」や「真実」を追求し、世界の平和や人々のために自己犠牲を払う人は世の中にどれくらいいるでしょうか。そしてそれ程大袈裟な事でなく、日常の開発の仕事において、この両フォーラムのメンバーの中でも、所属する組織の目先の利潤よりももっと広範なコミュニティの利益を優先する人はどれくらいいるでしょうか。私がもっと知りたいのは、我々が属する日本政府、実施機関、国際機関、ないし大学研究機関がそれぞれ、このような対立する選択に迫られた個人に対し、どの程度「広範なコミュニティの利益を優先する」自由を与えているのかということです。中村さんが書かれた「自律性が自閉性に転じたとき、あらゆる組織はその内外の一個人(とそのネットワーク)を
圧殺してゆく暴力機械に変貌する」や「組織や制度というものは、一個人および一個人のネットワークの自由(=開発、安全保障、尊厳)を守り実現していくために存在するもので、その
逆ではない」と書かれた事には全く同感です。

もう一点は、柴田さんが20日朝日に掲載された緒方貞子氏のインタビューをご紹介されましたが、私も氏と同感する箇所がありましたので、関連づけたいと思います。

それは、安保理常任理事国拡大について、「日本は財政面で貢献しているのに何ら地位を得ていないと不満を持つが、その貢献のわりには政策論や国際的な共通利益の問題での主導力がない。自分の利害だけでなく、自分の利害を全体の中で位置づけ、全体の利害を強化する政策を示していくのが国連外交です。」と言われた事です。

これはまさにOECDの議論の場にも該当しなくもない事ですが、国連に関して、私は最近Commission for Social Development (Copenhagen +10) とCommission for the Status of Women (Beijing+10)の二大会議に出席する機会があり、これを実感しました。

つまりplenaryにおいて代表団長が公式文章を読み上げる以外、議論の場ではほとんど日本の代表は質問をしたり、新しいアイデアを提案したり、異議を申し立てたりする事がありませんでした。とても残念な事です。恐らく代表の方々は真面目にノートを取り、しっちゃかめっちゃか言いたい放題言う国の論理もきちんと整理し、忠実に東京に報告する準備をしていたのでしょう。これは日本人の間では想像できることでしょうが、他国の人々はそうは解釈してくれないかもしれません。人数ばかり多くて何してるのかしらん、と奇異に映っている事だと思います。

アメリカみたいに大統領の個人的見解を無理やり押し付けようとしたり、パレスチナの様にイスラエルに当り散らしたりする国も困りますが、途上国でもフィリピン、南ア、キューバ、ルワンダ等など一生懸命代表が意見を述べ、国際社会の一員として次世代がより住み易い平和な世界にしていこう、という努力をしているのを見ていると、まるで傍聴席にでもいるように沈黙を守っているは日本はあまりにも情けない気もしました。

これは中央集権的な政府が上記に述べた「広範なコミュニティの利益」を追求する自由を代表の方々にあまり与えていないのか、知的資源が乏しいのか、言語のハンディがあるのか、私にはよくわかりません。日本人の私でさえ理解できないのだから、他国の人々にはもっと不可思議なことでしょう。そしてこういう国が常任理事国のメンバーになり、目先の国益を犠牲にしてまで世界という「より広範なコミュニティの平和」のために努力してくれる、といって多くの国々に信頼されているでしょうか。もし自己反省してそうではないかもしれない、と考えるなら、ではいったいどうしたら良いのか、という建設的な案を出す必要があると思います。そのためには小手先の改革ではなく、かなり根本的なところから見直しをしていかなければならないものかもしれない、と私には思えます。

宮本香織

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