2005/04/28

政策評価雑感

DCフォーラム、NYフォーラムのみなさま
 ご無沙汰しております。よしはら@外務省です。
政策評価法の担当となり、説明責任をかかげる法律に舞い戻って参りました。不祥事のさなかに情報公開法令の担当をしていたので、法令上の説明責任を担保する立場としては、これで3年。以前の報道課、国内広報課を入れると5年あまり過ぎたことになります。先に環境条約等の条約体、国際機関の行財政に対する説明責任を果たさなければ納税者との関係から分担金、拠出金と言った予算をつけない云々の交渉を行って来た経緯もあって、自身の組織の説明責任をとうポストに就いたのはある意味で一貫性があるのかな、と考えています。このポストにつきまして約2か月いろいろ考えていることもありますので、徒然に書いてみます。最近はDAC評価の話等政府開発援助の政策評価、業績評価の論議も盛んですので、足しになればと考えます。
 政策評価は、各省庁でも研究が盛んで、各府省のHPでもトップに来ています。総務省の政策評価の総合窓口が非常に詳しいので渉猟してみて下さい。(閑話休題。かつて小官が外務省のHPを改革しYahoo!で入賞したときは、兎に角その存在を売って、ネットサーファーを引き寄せることが主眼でしたが、最近は、見られることが前提で一見地味でもバリアフリー等のネット環境に適合することが主眼となっています。広報をめぐる価値観も急速に変化しつつありますね。)
 政策評価法の世界は、要は企画立案、施行、評価のサイクルを試行錯誤することにより政策にめりはりをつける(外務省用語では「選択と集中」でしょうか。)ことにあります。すべて「とにかく一生懸命やっている」から「いい政策」で「すべて」「継続」という自己肥大な官僚組織はありえず、常に社会的役割の公私の分担を計りながら、厳しい定員と予算で、上記のサイクルの透明性を計ることで、常に自他から己の組織のあり方、政策の存在意義(優先順位、なぜその政策目的のために個々の事業を意図的に取捨選択したのか。)を問わせること主眼があります。
 民間に近い事業評価、明確な目標を立ててその達成度を計る実績評価、複合的な要素を様々な角度から分析する総合評価の3つのあり方(乱暴な定義ですが。)を各府省の特性に応じて使い分けていいので、国民にうまくそのサイクルを示す、その文書等の作成の過程で、自分の業務の政策全体の中の位置付け、自分の事業のスパン、スペックを個々の職員が確認するという重要な副作用ももっています。
 同法3条は、自分のことは自分がわかっているから自己評価をしなさい、但し、それは客観的にわかるように定量的に把握するか、学識経験者等第三者的な評価を心掛けて下さいというのがミソです。大枠を提供し、あとは府省で担保して下さい、結果は厳しく観ますよ、というのが現代的な法律だなあと考えます。
 このような考え方は、英米法系の国々で盛んになり、英米はある程度大胆な試行が繰り返されています。我が国に取って着眼すべきは、行政組織は無誤謬ではなく絶えず錯誤試行するという景気や社会的な価値観の変遷による公私の役割の見直しにあると考えています。
 内閣府の財政諮問会議等で政策評価を予算や定員と連動させたいとする試みが始まっていることも注目に値します。
 政策評価法も情報公開法と並んで法令の見直しの時期に来ていますが、要は上記のサイクルや内部の意思決定が常に紙で残され、起案者、決裁者を含む情報がいずれ白日に出るのだ、それらは業務外の片手間でやることでなくて、ゆくゆくは自分の業務の存亡、帰趨がそれによって左右されるのだと言うところまで意識が及ぶことが狙いなのでしょうか。
 以上徒然にポイントをまとめてみました。それぞれのフォーラムの議論の足しになれば幸いです。
よしはらけんご拝@外務省+子育て奮闘中

北岡大使講演「国連改革および日本の役割について」

皆さん、柴田祐作です。

橋本さん、タイムリーな情報をありがとうございました。

> 4月8日、コロンビア大学において、国連代表部の北岡大使による講演がありましたので、概要を以下にご報告します。日本の安保理常任理事国入りに関する議論を中心に、きわめて明確かつ包括的な講演で、改めて日本の国際社会における立場と役割について考えさせられました。

なるほど、日本を代表する人はこんな論理を主張なさっているんですか? と言った感じで受け止めました。

国内で普通の日本人と話したり、国内向けの政治家の発言を聞くともっと肩身の狭い思いをしていますが、北岡さんや、一時の猪口邦子さんのレポートを読むと、よくなさっているなあと安心したりしました。

でも、これからまだまだレベルアップが必要だと痛感します。

日中、日韓関係など、本当にどうなることか、心配が多いです。
これからも、いろいろ教えてください。
特にワシントン駐在の皆様方、よろしくお願いします。

北岡大使講演「国連改革および日本の役割について」

UNフォーラムの皆さまへ

コロンビア大学国際行政学院の橋本のぞみです。

4月8日、コロンビア大学において、国連代表部の北岡大使による講演がありましたので、概要を以下にご報告します。日本の安保理常任理事国入りに関する議論を中心に、きわめて明確かつ包括的な講演で、改めて日本の国際社会における立場と役割について考えさせられました。

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「国連改革および日本の役割について」

1. 日本にとっての国連
1989年以前の冷戦時には、日本にとっても世界にとっても国連の存在意義は現在ほど大きくありませんでした。当時は米ソ両大国による主導権争いのため、どちらかの陣営による拒否権行使が頻繁に発生し、国連は現在ほど有効に機能していなかったのです。冷戦終結とともに国連の役割は飛躍的に大きくなりましたが、その象徴ともいえる出来事が1991年の湾岸戦争でした。日本ではこの湾岸戦争を機に自衛隊の海外派遣についての議論が活発化し、92年のPKO法成立につながりましたが、国連自体も、90年代のPKO派遣の激増に象徴されるように、国際社会での役割を拡大しています。ここで重要なのは、単に平和維持活動部隊の数を増やすというだけでなく、紛争予防やPKOの活動範囲の拡大など、平和維持活動の質の向上が肝要だということです。冷戦終結に伴う国連の国際社会における重要性の向上に伴って、日本の安全保障理事会常任理事国入りが、重要な政治課題として認識されるようになってきたという経緯があります。

2.日本の安保理常任理事国入りのメリット
 日本が常任理事国入りすることで得られるメリットには(1)よりレベルの高い情報を得られる、(2)安保理を通じて日本の考えを世界によりよく注入することができる、ということがあります。たとえば、現在安保理での議題の70~75%がアフリカに関するものですが、直接利害関係のある各国はなかなか国益に反する情報を出そうとはしません。アメリカ、イギリス、フランスなどは日本に情報を教えてくれますが、入手できるのは各国の国益に都合のいい形での情報になってしまします。日本は常任理事国となることでより速く偏りのない情報を手に入れることができるようになり、同時に中立的な立場でより深くアフリカの諸問題に関わることができるようになります。
 また、日本は現在アメリカに次いで二番目に多額の国連分担金を負担しており、さらに経済規模を考慮すると、その国連への貢献の大きさは際立っているといえます。19.4%の分担金を出資している日本が安保理での十分な発言権を持っておらず、わずか2%の中国や1%のロシアが拒否権を持っているという現状は非常に歪んでおり、日本の常任理事国入りには現状を是正するということです。
 日本が常任理事国になった暁には一体どのように国連に貢献するのかという議論がありますが、私は今までやってきたことを継続していくことで十分意義があると認識しています。日本はこれまで、例えばアジア地域での開発援助の成功や人間の安全保障の概念の提唱など、国際社会の場ですでに積極的な貢献をしてきています。他方で、国連にとっては、日本の常任理事国入りはより安定した日本からの出資の確保を可能にしますし、東アジアにおける日本の開発援助の成功に学ぶこともできます。

3.常任理事国入りへのステップ
 常任理事国入りへ向けてのステップですが、まずは総理自らの強いコミットメントを得ることから始まりました。私がこの職に就いた1年前には、まだ、日本国内では常任理事国入りへ向けての強いムードが醸成されていなかったのです。他方で国連においては、途上国の強い要求を受けて、日本とドイツの常任理事国入りという最低限の現状調整だけではなく、より根本的な安保理改革が課題となってきていました。そのような中、昨年具体案としてA・B両案が提示されて以降は、日本は常任理事国の拡大を含んだA案の支持を訴えてきました。
 A案には、常任理事国の拡大だけではなく地域設定の見直しが含まれており、これが障害になってA案を支持しない国もあります。しかしながら、3月21日の事務総長報告に対し、加盟191か国のうち160か国が改革の必要性を表明しており、さらにうち120か国が常任・非常任理事国両方の拡大を支持しており、現在は最終合意に向けての機運が高まってきているといえます。
 一方ここへ来て、異なる立場の国同士がグループを組み、それぞれの主張を活発に主張しあうようになってきています。日本は2005年度中の合意実現を目指し、「Reform5」を結成しましたが、これに対しより幅広いコンセンサスを得ることを優先し、決定を急ぐべきではないとするグループも「Uniting for Consensus」を結成しました。なお、コフィ・アナン事務総長自身は「コンセンサスを得ることを口実に、改革を遅滞させてはならない」と発言し、今年9月までの決定を強く後押ししています。コンセンサスを主張する国の代表格はイタリアとパキスタンですが、それぞれドイツとインドの常任理事国入りに対する反対が背後にあります。また、最近中国・韓国による日本の常任理事国入りへの強い反発も出ています。
 早期決定に反対する国の中でもっとも重要なのはアメリカの動向です。アメリカは日本の常任理事国入り自体には賛成しているのですが、その他の問題、特に安保理の拡大に難色を示しており、またアメリカの国内事情との関連で、自国のペースでこの問題を進めたがっています。
 今後の展開ですが、6月にまずは安保理拡大の枠組合意がされ、その後投票による新理事国の選出、総会による国連憲章の改定、さらに総会および現常任理事国による批准、と続きます。批准に2~3年かかるでしょうから仮に今年憲章改正決議が成立したとしても、実際に日本が常任理事国入りするのは2008年ごろではないかと予測しています。

4.常任理事国入りへの課題
 現在中国および韓国で日本の常任理事国入りに対する反対運動が活発化しています。しかし、戦後60年の歴史を振り返って、日本ほど世界に誇れる国際貢献を行ってきた国はありません。安保理常任理事国の要件が世界の平和構築と秩序維持への貢献にあるならば、日本ほど妥当な国はないといえるでしょう。
 過去の歴史に対し、十分な謝罪を行っていないという批判もあります。しかしながらこの批判は歴史解釈の相違によるところが多分にあります。もちろん今のままでいいということではなく、きちんとした環境の下で双方の歴史学者による歴史見解の相違のすり合わせを行うことが重要です。韓国とはすでにそのような取り組みが始まっています。
戦争終結は、通常、国境の再画定・戦争犯罪人の処罰・賠償によって戦後処理がなされます。日本の敗戦時にも、これらの処理がなされました。もちろんこれだけで戦争の被害者が納得できるとは思いませんが、どこでも同じです。日本は、このような世界における標準的な戦後処理は十分に行っており、われわれはさらに建設的に前進していかなければならないのです。

質疑応答(抜粋)
(問)国連は米国によるイラク攻撃に象徴されるように、あまり機能していないという批判がありますが、なぜ日本はそれでも常任理事国入りを果たしたいのですか。
(答)冷戦期に比べれば国連はずっとよく機能しているといえます。また、アメリカも歴史の中で軌道修正を重ねてきた国です。さらにアメリカ自身が実は国連システムにおける最大の受益者であることを考えれば、今後アメリカが完全に国連を機能不全に陥らせる心配はないと思います。

(問)EUのように、今後アジアでの各国共同体ができる可能性はありますか?
(答)すぐに東アジア共同体が実現するというのは難しいでしょう。ひとつの障害として、中国が非常に大きい人口を抱えており、各国間のバランスが悪いことが挙げられます。

(問)常任理事国入りに伴い、より幅広い国際貢献が期待されることになりますが、その場合憲法第九条の改定はありえますか?
(答)現在の平和維持活動の大半は武力の行使ではなく、平和構築プロセスにおける後方支援活動や技術援助などです。したがって憲法第九条の枠組みの中でも、国際貢献は十分に可能です。

(問)国内総生産の0.7%というODA拠出基準を日本は現在満たしていませんが、常任理事国入りに関連して今後拠出額はどのように変わっていくのでしょうか。
(答)このODA拠出基準に関してはいくつかあいまいな部分があります。なぜ拠出額の総額ではなく国民一人当たりで基準設定がされているのかという問題、また、過去のODAの返済分が相殺されるため、返済を多く受けている日本は拠出額が少なく計算されてしまうという問題があります。また、開発援助は単に金額を拡大すればいいというものではなく、援助受入国の政治体制や社会環境など、援助を有効利用できる環境が整っていることも必要です。経済援助というのは、そもそも難しいもので、日本以外で成功した国はありません。今後日本は過去のアジアでの成功をベースに、アフリカ向けの援助を拡大していくなど、ますます積極的に開発援助に貢献していきます。

2005/04/16

DAC News and 2004 ODA statistics

DCフォーラムの皆様、NYフォーラムの皆様 OECD DAC事務局の宮本です。今回は情報提供二件です。 まず、インターネットによるDAC Newsなるものが今日開始されましたので、よかったら御覧になってメーリングリストに登録してください。 リンクは www.oecd.org/dac/newsletter です。
それから2004年のODA統計もまた今日発表されました。以下が要約です。よろしくお願いいたします。
宮本

OECD - Paris, 11 April 2005
Official Development Assistance increases further – but 2006 targets still a challenge

Official Development Assistance (ODA) to developing countries increased to USD 78.6 billion in 2004, its highest level ever. Taking into account inflation and the fall in the U.S. dollar, this represents a 4.6% rise in real terms from 2003 to 2004 and follows a 4.3% increase from 2002 to 2003.
The total represented 0.25% of Development Assistance Committee (DAC) members’ combined gross national income (GNI), the same level as in 2003, but up from 0.23% in 2002 and 0.22% in 2001.
Several factors accounted for the USD 3.1 billion rise in real terms in 2004. Among these were:
* Contributions to international organisations increased by USD 3.7 billion
* Aid to Afghanistan and Iraq was up by a total of at least USD 1.5 billion
* Technical co-operation grants rose by USD 1.2 billion
* Gross debt relief grants fell by USD 2.1 billion, and
* Net lending fell by USD 1.3 billion.
* Fifteen of the twenty-two DAC member countries reported increased ODA in 2004. The United States remained the largest aid donor in volume terms, followed by Japan, France, the United Kingdom and Germany. The only countries to exceed the UN target for ODA of 0.7% of GNI remain Denmark, Luxembourg, the Netherlands, Norway and Sweden.
* The United States’ net ODA in 2004 was USD 19 billion, a 14.1% increase in real terms from 2003. Its ODA/GNI ratio rose from 0.15% to 0.16%. Most of the increase was due to a USD 1.8 billion contribution to the International Development Association (IDA), the grant and soft-loan arm of the World Bank. Aid to Afghanistan (USD 875 million) and Iraq (USD 2.9 billion) also rose substantially. United States ODA comprised 24.2% of the DAC total in 2004, its highest share since 1986, and nearly double the low point of 12.5% reached in 1995.
* Japan's net ODA fell by 4.8% in real terms to USD 8.9 billion or 0.19% of its GNI. However, in gross terms its ODA rose by 24.5% to USD 16.1 billion. This was due partly to aid for reconstruction of Iraq, though mainly to greatly increased debt relief to some of the most heavily indebted countries in the world. But this debt relief had little effect on net ODA since the bulk of the forgiven loans were counted as ODA when they were extended. Increased repayments of ODA loans, notably by countries that have recovered from the Asian financial crisis, also affected Japan’s net ODA.
* The 15 DAC countries that are members of the European Union (EU) increased their combined ODA by 2.9% in real terms to USD 42.9 billion - some 55% of DAC ODA. It represented 0.36% of these countries’ combined GNI, up from 0.35% in 2003 and broadly on track towards the EU target of 0.39% by 2006, although five EU members still need to increase their ODA substantially to reach the minimum country target of 0.33%. EU members committed themselves to these targets before the 2002 Monterrey International Conference on Financing for Development.
* Among EU member countries Belgium has committed to meeting the UN target of 0.7% by 2010 and France by 2012 (with an interim target of 0.5% by 2007). Sweden has announced its goal to reach an ODA/GNI ratio of 1% by 2006, Spain to attain 0.33% in 2006 and 0.5% in 2008, and the United Kingdom to reach 0.47% by 2007-08 and 0.7% by 2013.
* The largest rises in aid in real terms in 2004 by EU countries were in:
* Austria (22.0%), mainly due to debt relief grants
* Greece (13.1%), due to increased technical co-operation and emergency relief * Luxembourg (10.5%), due to increased contributions to regional development banks
* Portugal (an exceptional 187.5%), due to a large debt relief operation for Angola
* Spain (14.5%), due to the timing of contributions to international organisations
* United Kingdom (8.8%), due to higher project and programme aid expenditure and debt relief.
* ODA also rose in real terms in Denmark (3.5%), Finland (5.9%), France (4.3%), Ireland (2.2%) and Sweden (1.4%), and remained practically unchanged in Germany (-0.4%).
* ODA fell in real terms in Belgium (-30.3%), after the peak in 2003 caused by a large debt relief operation for the Democratic Republic of Congo. The fall in Italy (-9.7%) was mainly due to reduced debt forgiveness (down about USD 400 million). ODA from the Netherlands fell (-4.0%) as India repaid all its outstanding Dutch aid loans. These early repayments brought the Netherlands’ ODA down to 0.74% of its GNI, below its target of 0.8%, which it intends to maintain, on average, over the period 2004-07 >through above-target performance in 2005-07.
* Aid managed by the European Commission (EC), funded by EU members from the amounts shown above, increased by 7.1% in 2004, continuing a trend towards more efficient disbursement of their resources.
* Other DAC members saw the following changes in real terms in their ODA:
* Australia’s ODA rose slightly by 2.3%
* Canada’s ODA rose by 12.2% as reimbursements declined compared to 2003 when India had repaid its Canadian ODA loans
* New Zealand’s ODA rose by 8.2%. This included a significant increase in grants to South Pacific Agencies.
* Norway’s ODA fell slightly (-2.9%)
* Switzerland’s ODA fell (-3.0%). However, this figure may be revised substantially if Switzerland decides to report the initial costs of asylum-seekers from developing countries arriving in Switzerland.
* Among non-DAC OECD donors, only Poland has provided preliminary data showing that its ODA rose to USD 124 million in 2004 as Poland joined the EU and started contributing to its development budget.
* Further substantial rises in ODA are expected in 2005-6. If members meet the ODA volume commitments they made at and after the Monterrey conference, the ODA/GNI ratio should improve from 0.25% in 2004 to 0.30% in 2006. The main sources of the rises are likely to be:
* Contributions to the World Bank’s International Development Association - In February 2005, donors agreed to contribute USD 18 billion to IDA to increase its grants and loans by at least 25%.
* Increases in bilateral aid budgets - Several DAC members are implementing significant expansions of their bilateral aid programmes. For example, the United States’ Millennium Challenge Account is now operational and two other large donors - France and the United Kingdom - are increasing their bilateral ODA as part of ambitious plans to meet the UN 0.7% target by 2012-13.
* Tsunami aid - The devastating Indian Ocean tsunami has led to exceptional mobilisation of both private and official resources for relief and reconstruction. The DAC will track disbursements arising from the pledges made.
* Debt relief for Iraq - At the end of 2004, the Paris Club agreed to relieve much of the debt owed by Iraq. Depending on the pace of bilateral agreements between Iraq and its creditors, up to USD 15 billion of this relief may be reportable as ODA by DAC members in 2005. For further information, journalists are invited to contact Helen Fisher, OECD’s Media Relations Division (tél. 33 1 45 24 97 00 or mailto:helen.fisher@oecd.org). >

2005/04/10

日本の役割と国益と課題

田瀬さん、柴田です。

総合的なコメントをありがとうございました。

それから、西田さんのコメントにも裨益されましたので、併せてお礼申し上げます。

田瀬さん:

> 日本はさまざまな経験を通じ成長してきていると思います。日本人である私の価値観を客観的に見れば、いかなる社会でも通用する成熟したものであると自負します。歴史的背景、近隣諸国との関係、安全保障上の物理的制約などはあっても、単に物事をお金だけで解決すべきとは思っていないし、軍事的措置の前にやるべきことは山ほどあることを知っているし、最終的には武器を必要としない平和な世界を希求している点でも、日本とその人々の考え方は、ある意味で非常にバランスのとれたものと思われ、これを安保理を含む国際的な議論の場でパッケージにして出していくことには、私は大きな躊躇は感じません。特に安保理の機能が従来の軍事的安全保障から拡大されつつある今、日本が貢献できることは多いはずです。
>
> 問題はこうした価値観や規範を打ち出し議論をリードする意気込みと技術(特に概念をパッケージ化するマーケティング技術)において、あまりに課題が多いという点かと思います。
> 語学力や個人の能力という点もあるだろうし、制度的にも不十分なところがたくさんあります。例えば官僚制度においては担当者が2年おきぐらいにクルクルと替わります。その結果国際社会から信頼される専門家を養成するような体制には残念ながらなっていません。私が携わっている「人間の安全保障」もその例といえ、日本の数少ない知的貢献とされていますが、このイニシアティブを最初から一貫して見ているのは緒方貞子さんという知的巨人お一人であり、どうしてもその力量に政府がぶら下がってしまっている状況があります。
> なんとかせねば。安保理はもっとたいへんだと思います。

私達は、今回の愛・地球博で、市民の学習の場として、緒方さんをキーパーソンとする「地球平和フォーラム」(7月9日開催)と
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N2/N2.1/N2.1.114/
それを取り囲む形で市民プロジェクト群平和へのハーモニー・地球市民フォーラム他3プロジェクト(7月8-10日開催)
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
を準備しています。その関係で、短時間でしたが、JICA理事長室で緒方さん直々のご指導も頂きました。時たまですが、難しい局面に遭遇したときは、緒方貞子氏、アマルティア・セン教授(人間の安全保障委員会共同議長)の昼食会記録
http://www.comtv.ne.jp/j/m23.htm
で彼女の仕事振りの一端に触れることを活力剤にしております。

西田さん:
http://groups.yahoo.co.jp/group/nyunforum/message/229

> 役所というものは、何処もそうかもしれませんが、自ら進んで他と組むことにはどうしてもためらいが伴うように見えますね、傍で見ていると。最低限、枠を超えて想像力が更に高まるというような事例を目撃した体験は(役人とのつきあいがあまり多くないこともあり)ごくごく稀有です。解決のキーワードは衆知、かもしれません。

同感です。私は定年まで大企業に勤めましたが、本質的には企業も同様です。国税庁から転職して来た友人は、国税庁よりももっと官僚的だと、冗談を言っていたほどです。閑話休題。

たまたま、昨年11月26日に、私の地元名古屋のUNCRDが異分野間協力の試みとして「人間の安全保障に関して政府機関、援助機関、NGOと国連との相互連携を探る初会合」
http://www.uncrd.or.jp/ja/press/2004/eao_04_005.htm
を開催したとき、私も幸い、同じ市民プロジェクトの代表と共に出席し、良い勉強ができました。例えば、外務省国際社会協力部政策課の和田潔課長補佐も、良い発表をしてくださいました。

私達のシンポジウムでは、市民サイドから、UNCRDの小野川所長の努力を支援する応援団を作ろうとしているのですが、当然ながら並な努力で成功するはずもないし、小野川さんも常識ある市民も、相手にしてくれません。

しかし、今回の国連改革提案や
http://www.un.org/secureworld/
ESDの実施企画書
http://portal.unesco.org/education/admin/file_download.php/
draftFinal+IIS.pdf?URL_ID=36026&filename=11104520073draftFinal_IIS.pdf
&filetype=application%2Fpdf&filesize=854010&name=draftFinal+IIS.pdf&location=user-S/

を読むと、
> 解決のキーワードは衆知、かもしれません。
という想定も、まんざら荒唐無稽ということではなさそうに思われてきます。

日本の役割と国益と課題

田瀬さん、
ご出張ご苦労様でした。

> なんとかせねば。安保理はもっとたいへんだと思います。

その通りなのだろうと思います。
少し背伸びをして、一段階段を上がるような過程にいるのだろうと理解しています。ただ、5カ国に出来て日本に出来ないほど大変な話なのかどうか。

これを得がたい成長機会と捉えれば、投入すべき強みの姿もおぼろげに浮かんでくるような気がします。弱みの克服、については御指摘の範囲に限るなら、見えている分対策は立てうると捉えるのが常日頃私どもが途上国相手に繰り返している議論なのですが。Never up, never in. 虎穴ニ入ラズンバ虎児ヲ得ズ。Any man-made obstacles can be sorted out by human beings. 

役所というものは、何処もそうかもしれませんが、自ら進んで他と組むことにはどうしてもためらいが伴うように見えますね、傍で見ていると。最低限、枠を超えて想像力が更に高まるというような事例を目撃した体験は(役人とのつきあいがあまり多くないこともあり)ごくごく稀有です。
解決のキーワードは衆知、かもしれません。

UNIDO東京 西田

日本の役割と国益と課題

宮本さん、中村さん、西田さん、長田さん、柴田さんほかフォーラムの皆様。

                 田瀬@国連人間の安全保障ユニットです。

みなさんの一連のご議論には非常に示唆深いものがあると感じています。2週間ほど出張で空けましたので参加できませんでしたが、以下なるべく短く、私なりに考えてみたいと思います。

まず、安保理を含めて日本が世界の中で何をなすべきかというある意味根本的な問題については、私は「日本が正しいと考える道徳観や価値観を世界のルールとして確立すること」が一つの究極的な目標と考えています。そしてそうした道徳観や価値観を世界に押し付けるのではなく「国際社会の支持を獲得しつつ、かつこれをリードする」形で実現していく必要があると思うのですが、それは言うほど簡単なことではなく、先人から受け継いだ資産と遺産の両方の上に立ちながら、まだまだ国としても個人としてもがんばる必要があると感じます。

ずいぶん以前に開発フォーラムで「国益」に関する議論が盛んになされた時がありました。

その際に、近視眼的な国益と中長期的な国益は対立する考え方なのか、普遍的な価値観の実現といった長期的なビジョンは果たして本当に国益なのかといった議論がなされていましたが、フォーラムの多くの方々は普遍的価値観の実現の方が例えば短期的な経済的利益よりも重要だと考えておられる一方、国際社会からの道義的な支持や尊敬といった抽象的な「国際的立場」を求めるのはあまりにナイーブだといった議論があったのを記憶します(正確でなければごめんなさい)。

こうした議論に接して私が感じたのは、普遍的価値の実現という一見抽象的かつナイーブに見られがちな目標は、実は「国際社会の規範づくり」という冷徹な国家間のゲームと表裏一体で結びついているのではないかということでした。どこの社会でもそうですが、結局はルール(規範)をつくった者が全てに勝利するような気がします。アメリカが君臨しているのは最近の国際秩序づくりに勝利したからですし、イギリス・フランスが大国であるのも同様かと思います。逆に日本が経済的発展を享受しながらもその地位に満足していないとすれば、そうしたルールづくりに参画できていないという現実があるからではないでしょうか。

そして重要なことは、ただ単にルールづくりの勝負に勝てば良いということではなく(反対するやつは殺してしまうのでなく)、提示するルールについて国際社会の最大限の支持を獲得しつつ、これを実現すべきだということだと思います。このためには正しいと思う道徳観や価値観を一つひとつ実践して見せることがどうしても必要になります。この意味で、憲法前文に謳う「国際社会における名誉ある地位」というのは、私の中では、世界の人々が正しいと感じられる普遍的価値を実現し尊敬を得ることのみにとどまらず、それを規範として確立するという「ゲーム」に勝つことの両方を意味しています。

これを安保理の議論や国際的な議論の場における日本の能力にあてはめますと、安保理についてはまさに「ルールづくり」の場です。ここに参画しなければ結局は異なる価値観に従わざるを得ない可能性があり、最終的に国民の生命にかかわるという点で、常任理事国になることは極めて大きな意味があると思います。他方、問題は、常任理事国になって(1)国際社会が納得できるようなルールを提示できるか、またフォーラムでも議論になっているとおり(2)提示したとして議論を引っ張っていく能力があるかといった点でしょう。この点について私は、提示できる規範はあるが、議論をリードする能力についてはまだまだ不十分と感じます。

日本はさまざまな経験を通じ成長してきていると思います。日本人である私の価値観を客観的に見れば、いかなる社会でも通用する成熟したものであると自負します。歴史的背景、近隣諸国との関係、安全保障上の物理的制約などはあっても、単に物事をお金だけで解決すべきとは思っていないし、軍事的措置の前にやるべきことは山ほどあることを知っているし、最終的には武器を必要としない平和な世界を希求している点でも、日本とその人々の考え方は、ある意味で非常にバランスのとれたものと思われ、これを安保理を含む国際的な議論の場でパッケージにして出していくことには、私は大きな躊躇は感じません。特に安保理の機能が従来の軍事的安全保障から拡大されつつある今、日本が貢献できることは多いはずです。

問題はこうした価値観や規範を打ち出し議論をリードする意気込みと技術(特に概念をパッケージ化するマーケティング技術)において、あまりに課題が多いという点かと思います。語学力や個人の能力という点もあるだろうし、制度的にも不十分なところがたくさんあります。例えば官僚制度においては担当者が2年おきぐらいにクルクルと替わります。その結果国際社会から信頼される専門家を養成するような体制には残念ながらなっていません。私が携わっている「人間の安全保障」もその例といえ、日本の数少ない知的貢献とされていますが、このイニシアティブを最初から一貫して見ているのは緒方貞子さんという知的巨人お一人であり、どうしてもその力量に政府がぶら下がってしまっている状況があります。なんとかせねば。安保理はもっとたいへんだと思います。

なんか中途半端ですがとりあえずこの辺で三分間でしょうか。国家と個人の関係についてはまた別途投稿させて頂きたいと思います。

至らないところがあればご指摘下さい。

日本の役割、硬直した官僚制、日本の公と私いろいろ

NYUNForumのみなさん、

 長田です。柴田さんの投稿を読んで、私の投稿が非常に大きな誤解を生んでいるのであれば訂正しておこうと思うので、投稿します。
 私はNYUNForumが主として国連に関わる国際行政・外交の実務家、関連分野の研究者、およびそうしたキャリアに関心を持つ学生と教育者の間での情報・意見交換の場であり、意見広告や、特定の立場の表明、イベントの広報、あるいは私信のやり取りの場ではない、という認識ははっきり持っているつもりです。前回の「日本の役割、硬直した官僚制、日本の公と私いろいろ」と題して行った投稿も、日本の常任理事国入りの問題、国際公務員の公と私といった事柄について、フォーラム参加者のみなさんの建設的な議論に資する目的で投稿したつもりです。私自身は、特に実務家の方々がインサイダーとしてどのような認識を持っているかを書いてもらうためにこの場でいろいろな観測気球を上げているつもりです。

 前回の投稿については、私は私自身が日本の国際的地位の向上を望む等々の立場表明をしたおぼえはありません。そうではなく、以下のような質問を間接的にしたつもりです。

 Q現在日本が常任理事国等の大国の地位を追及しているが、そうした地位は国際問題への対応において、日本独自の比較優位が示せなければガバナンスの観点からは意味がない。それは何か?また、どのような長期的視野の下で日本は常任理事国に向けて動いているか?

 Q日本の敗戦が国際行政や外交に関わる日本人の実務家の思考を束縛していないか?それは日本及び日本人の国際貢献の障害になっていないか?

 Q日本の官僚機構の特異性、または独自の歴史はどのように現在の決定作成上の問題に関わっているか?それはどのように解決されうるか?どのような議論があるか?

 Q歴史的に規定された日本の公共意識と私的領域はどのようにバランスされると考えるか?

 私自身いろいろ議論を展開しましたが、その目的は採点をもらうためではなくて、それに対する建設的な反応(インサイダーならではの精緻化、あるいは異なる意見の提示)をもらうためです。
 前回「きらくな大学院生が適当に書きなぐった」とは書いておりますが、これはブレーンストーミングの場として発言がしやすいように、という配慮からです。フォーラムの幹事の一人から伝え聞いた、幹事会でもっと発言があるようにしたい、という意向を受けたものです。私の書いたものがみなさんにとって落書き程度の陳腐なものでしかなかったとしたら、決して故意ではありませんが、失礼しました。
 これからも日本人による国際貢献のための知的資源蓄積の場として、このフォーラムが発展することを期待しております。これからもしばしば書き込みさせていただきますが、みなさんにとってこっけいに思える質問や議論も、私の中ではレレバントな事どもです。その時には返信はせず、その場で笑って忘れていただけたら幸いです。


          長田達也
Tatsuya Nagata
PhD Student in Global Affairs,
Center for Global Change and Governance,
Rutgers, State University of New Jersey, Newark

日本の役割、硬直した官僚制、日本の公と私いろいろ

長田さん、皆さん、柴田です。

>  ラトガーズ大学の院生の長田です。非常に多岐にわたって盛り上がっている議論に参加(乱入?)させていただきたいと思います。

将来のある若い人のご参加を歓迎します。(私は過去の人間です。)

>  日本の「国際貢献」や地位向上への動きについてですが、ぼくは、過去の失敗にすっかり怖気づいてしまった生徒がおずおずと昔のけんか相手が作ったグループで何か役目をもらおうとしているようなもの、と思っています。

私は1931年、15年戦争が始まった年の生まれですから、正におずおずと昔の喧嘩相手の連合国が作ったグループで何か役目をもらおうとしている典型です。常任理事国にさえしていただければ何でもおっしゃる通りにやります、と言った感じです。

>  西田さんの「学級委員」という比ゆはとても興味深いものですね。学級委員にしてもらおうという考えで日本が国連や国際社会に関わるというあり方が、日本の「指示待ち」思考をよく表現しているように思います。国際社会への関与というものが、日本から見てここがおかしい、ここはこうあるのが正しい姿だ、といえない理由は、日本の敗戦だと思いますが単純すぎるでしょうか。

単純が悪く、複雑が良いなどということはありませんが、政策として間違っていると思います。これは自己反省です。

>  日本が国際社会での地位を高めるためには日本にあって他になかなかないものを国際社会に持ち出せることが重要だと思います。

私はそうは思いません。発想の始まりが「自国の地位を高めるため」というのがそもそも間違いの根源だと思います。

万一そんな発想であることが、近隣(中国・韓国・ASEANなど)諸国に気取られたら、彼らはたちまち反発します。日本人の私も、そんな発想をする日本人ではありたくないです。やせ我慢ですが、もっと高潔で、私心のない日本に住みたいです。

> アメリカの場合、余りうまくいっていないですが、民主主義の輸出と軍事力の投入ですよね。

これがその通りであるかどうか、意見を留保しますが、そういう見方が今の世界のステレオタイプであるということなら、同感です。

> 他の国も日本にあって外国になかなかなく、外国に持ち出せるかもしれないものといえば、急速に達成できた経済成長のモデルと治安、政治的安定、非西洋であること、くらいだと思います。

これもステレオタイプですが、まあ、良しとしておきましょう。

> 日本での成功を相手のニーズや特性に合った形で持ち出せるのであれば、日本の関与にもっと関心を持つ国も増えるのでしょうが、残念ながら今の日本は「わが国のような成功を収めるにはあなたの国にはこれが足りない」とある意味恥ずかしげもなく言い切れるだけの自信も準備もないのではないでしょうか?

一般にはその通りですが、例外も少なくはありません。例えば、トヨタ生産方式などは、その例外の最たるものです。このことは、今や、世界の常識だと思います。
例えば、「トヨタはなぜ強いのか(日本経済新聞社)」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532149568/249-5602320-8997115

私達の市民プロジェクトは、愛・地球博で、このような議論を徹底的に、外国人も含めてやることにし、準備中です。

>  欧米にあって日本にないもので国際社会に役立つものを前の世代が作ってくれなかったので、「国際」関連で何かしたい日本人(学生)が欧米に出て行ってまねをしている、というのが現状ですが、そのままではただの欧米の後追いなので、いずれ手塚治虫や宮崎駿、はたまたトヨタやソニー、松下のように国際貢献、開発、国際政治学でも「日本ブランド」を作れるようになりたいものだと思います。

その心がけは立派です。期待します。

>  日本の国際的地位が必要以上に低い、という意識が(なぜか)私たちにはありますが、日本の対外的姿勢と国際的地位には関係があると思います。一つは独自の状況判断がない。もう一つはあまりに予測可能なことです。人間関係でもよく気がついて、何をすべきか自信を持って判断と決断ができて、てきぱきと物事をしてくれる人は評価されます。また、こちらの言うことを聞くに決まっていると思える人間よりも、下手をすると(またはきちんとお願いしないと)こちらが困ることをするかもしれない、やって欲しいことをしてくれないかもしれない人間の方が影響力は大きいです。逆に自分から何かをするわけでもなくて、いわれればそれなりにやるが、いなくても困らない人はどうでもいいわけです。「手がかからないいい子」というべきでしょうか。日本の認識と政策が欧米の後追いであり限り(常任理事国にしてもらう、という姿勢も<国際連合はアメリカなどが「作った」もので、国際社会のリーダーは国際機関を国際社会のニーズを考えて「作る」、「作っていく」ものではないでしょうか>)、
> 関係者は日本の話を聞きに来る必要はないです。「日本から見て今の世界にはこれが足りない」といえる知的資源がもっと必要でしょう。日本の対外関係もアメリカの言うことを聞くに決まっている、と外国が思えば、アメリカと話せばいいですし、国際貢献といえばやりたがるに決まっている、と分かれば外国も国際機関も日本にお願いしに行く必要はないでしょう。日本の利害がアメリカと一致しているに決まっているのであればアメリカも日本を重視する必要はないです。ぼやぼやしていると日本の金は他に行ってしまう、説得できないと日本は既存の国際機関ではなく、オルタナティブな方法でやってしまう(一国主義、NGO,あるいは日本が国際機関を別に「作って」しまう)、ちゃんと説得しないと協力してくれない、という緊張感がもっと必要ではないでしょうか。

おっしゃることは、一応ごもっともですが、そもそもの発想が、「日本の国際的地位が必要以上に低い、という意識が(なぜか)私たちにはありますが」から始まっているのが、間違いの元だと思います。

>  これと関連して、日本の官僚機構が政策的な柔軟性に乏しいこと、自己主張が弱いことが日本の存在感を低下させている、という問題ですが、もともと日本側が国際交渉に役人ばかり送り込みすぎている、ということはないでしょうか。また、日本の政策決定が官僚機構が自分たちのコンセンサスで作った政策に政治家の裁可を得る、という形式を取ることで、官僚機構に決定と政策の策定(政治と政策)の混同を招いているのではないか、とも思われます。
>  もともと官僚の役割は、政策知識を提供して政治家の決定作成を「助け」、出てきた決定を執行するものと思います。たとえて言うと、官僚機構は政治家というツアー旅行幹事を助ける旅行会社やガイドではないでしょうか?ツアー団体が関心があって、また旅行可能な目的地を一通り提示し、選択肢に関わる費用や内容、経路等を教え、幹事に決定をゆだねる、細かい内容は旅行者の意向に沿うように自分で処理する、というのが仕事です。別なたとえをすると、理想は多彩なメニューを提示できて、どんな注文が来ても対応できる有能なシェフではないかと思います。
>  しかし日本の政治の決定能力が弱いと官僚側としては決定の領域にも踏み込まざるを得ないということでしょうか。優柔不断だったり怠け者だったり、時間がなかったりでいつも「今日のおすすめメニュー」ばかり選ぶ客に料理を作り続けるシェフでしょうか。(明治維新で侍から官僚へと転進した統治エリートの系譜か、明治憲法体制下の官僚機構の伝統か、はたまた戦争責任で決定エリートが一掃されたせいか、いろいろを想像力をかき立てられます。)

想像力がなくても大体当てられる範囲ではないでしょうか?

以下、同じような提案が繰り返されるので、ここまでで中断します。
あまり建設的なコメントができませんでした。ご容赦ください。

2005/04/01

ジェフリー・サックス教授講演"The End of Poverty"概要

NYフォーラム、DCフォーラムの皆さんへ
(二重投稿ご寛恕ください)

コロンビア大学SIPA/MIAの中村秀規です。

3月31日、本学にて、コロンビア大学 The Earth Instituteのディレクターで、ミレニアム開発目標に関する国連事務総長特別補佐を勤めたジェフリー・サックス教授の講演The End of Povertyがありましたので、概要を以下にご報告します。本講演は講演タイトルと同名の著書の出版を記念して各地で行われているものです。30分強の講演は、刺激的で骨太の知識/論理によって構成されているというだけでなく、変革へのコミットメントと強い意志に貫かれており、600人以上の聴衆をempowerしたと感じました。

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0.要旨
私たちは極度の貧困を2025年までになくすことができる。その手段は単に可能であり実践的であり効果が証明されているというだけでなく、より良く実践することが可能である。そうすることができると知っている以上、「行わない」という選択肢はあってはならず、その実践は必然である。

1.極度の貧困の実際
現在、世界にはただ生存を維持するということのためだけに生活している人々がいる(およそ世界の人口の6分の1)。年間800万人の人々が治しうる病気や不栄養を理由として死んでいる。例えばマラウイはユニセフによって「申し分のない嵐」の中にあると呼ばれている。つまり、エイズ・マラリア・旱魃という破局に見舞われており、村に行けば、壮年層・子どもはエイズなどで死んでおり、高齢者と孤児たちにしか出会わない。ケニア西部では、診療所はどこも多数の患者を抱えるが、医療従事者も医療用具・薬品も不足しており、一つの寝台を大人3人と子ども3人が共有したり、感染症患者が一つの寝台に二人寝るといったことが常態となっている。エチオピアに行けば女性たちが1日のうち6時間を安全とは言えない水を運搬するのに費やしている。

2.診断
米国政府に極端な貧困をなくそうとしない理由を聞けば「アフリカには汚職があるから」と答えるだろう。しかしアフリカに極端な貧困が集中している理由として汚職にのみ注目することは間違っている。アフリカは開発を阻害する要因に規定されている。経済発展が可能となったアジアにおいてはそのほとんどの領域が農業生産に適する氾濫平原を持つのに対して、アフリカの96%は天水農業に依存せざると得ない。アジアにおいては緑の革命、すなわち高収量品種の適用が可能であったが、アフリカの土壌条件は化学/有機肥料によらずして革命をもたらさない。アフリカはその他の地域と異なり港湾や大洋に航行可能な河川から遠く離れた地域が多く存在する。これは高い輸送コストを意味する。世界経済からの隔離の傾向は消費と生産の双方において開発を阻害してきた。しかしこれらの貧困の罠は逃れうるものであって、問題はいかに問題解決に必要な資金を用意するかということである。

3.臨床経済学
私の妻は小児科医であり、私は多くを彼女から学んでいる。医師が患者から治療を依頼されて「あなたは腐敗しているから治療しない」とは言わないであろう。「臨床」という観点から経済開発を捉えれば、まずなすべきは「患者の言うことを聞くこと」である。妻は子どもの患者の話を聞くのに1時間をかけることもあると聞く。Earth Instituteではアフリカの各地で人々の話をし、議論をする機会を持ってきた。たとえばエチオピアでは次のような試みを行ってきている:人々による水資源管理、土壌栄養素管理、初等教育(学校給食を行うことによる出席率と生徒の達成状況の改善)、マラリア対策のための特殊仕様の蚊帳、エイズ対処薬(一投与量あたり30セント、拡大は容易なはず)、Earth Instituteによるセメントとワイヤだけを供与した後の人々による診療所の建設、ヘルスワーカーのトレーニングなど。こうしたEarth Instituteの活動は「依存」を助長するのでなく自立的発展を助長するのが意図である。また、医者が患者の一つの症状に対していくつもの原因を想定するのと同様に、臨床的に開発を行っていく上で、必要なものは経済学だけではない。理学、工学、農学、医学健康科学など、多くの知見が必要である。
しかるに例えばIMFのレポートに経済学以外の知見が盛り込まれたことはほとんどない。

4.先進国の役割
上記の診断とそれに基づく対処策は信じがたいほど低コストで実施可能である。すなわち2002年3月にメキシコ・モントレーにおいて先進国が(再確認し)コミットしたGDPの0.7%に相当するODAを供与するということである。これは米国などの、ODAに100倍する軍事支出と比較したときに、決して多大な支出ではないと言える。米国はモントレー・コンセンサスでコミットした額の4分の1しかODAを実施していない。多大の軍事支出はかえって世界を不安定化している。もっと前向きな支出に切り替えるべきである。先進国の人々がコミットメントを持ち、2025年までに極度の貧困を解消し、現在の分断された世界を癒すことは、可能であり、必然である。

5.質疑応答
(質問)汚職以外の要因も経済開発を阻害しているというが、それでも汚職も重要な問題だ。これについてはどうすべきと考えるか。
(回答)汚職は米国のみならず世界中に見られるものである。長期政権にその傾向があると言えるだろう。具体的には、開発協力にあたって盲目的なチェックを行わないことが重要だ。会計監査、職責にもとづく人材登用などの制度作りが必要である。英国首相のトニー・ブレアがアフリカについて語っているように、250億ドルの支援は効果的に吸収されうる。

(質問)技術革新の重要性をどう評価するか。
(回答)開発問題を解決する上で、根本的に重要な要素である。しかし(低い)人口密度の制約を受けていることも認識すべきである。我々はたんに昔に戻ればいいということではない。技術上のブレークスルーが必要である。「孤立」は極度の貧困と強く関係している。そうした中で携帯電話のもつ可能性は非常に大きい。トラック運転手、学校、診療所などに配備することで多大の開発効果が見込める。コンピュータも重要だが、まずは携帯電話の普及が重要
だろう。

(質問)米国政府の政策をどう評価するか。また政策に対する個人の影響力についてはどうか。
(回答)ブッシュ政権は何が重要かを取り違えている。「自由」を何度も使うが、「貧困」はほとんどスピーチに出てこない。しかし真の安全は開発の状態に依存している。また飢えている人々は「反政府武装兵士」になどなれない。米国政府の三重苦は国防、外交、および開発(Defense, Diplomacy, and Development)だと言われるが、前二者と開発とではまったく支出額が異なることを見落としている。最後に、米国の政策を変えていく上で、個人/市民による「活動/実践」は極めて重要である。

ふんじゃ何をするか

皆さん、柴田です。

宮本さんが提供された話題の中で、私に一番フィットしたのは以下の第一のテーマです。

> まず、最近「質問箱」さんがご無沙汰しているようですが、もし中高生に、話題にあった「常任理事国入り」のいったい日本は何でこれを希望しているか、と問われたら何と答えれば良いのでしょうか。
> これに関連して、日本はUNDPやOECDのトップの座を狙っている様ですが、これらを獲得して具体的に何が得られると期待し、そして何をこれらの機関に対して貢献できる、と考えているのでしょうか。
> ODA大綱に「国際機関の運営にもわが国の政策を適切に反映していく」とありますが、これはトップの座を獲得すればできるのか、他にどのような方法でできるのか、具体的にどういう政策を何で反映させたいのか、そして実際に反映されているのか、等と質問されれば何と答えたらよろしいのでしょうか。
> ちょっとこましゃくれた中高生ならこのくらいの事を聞きかねません。
> いろいろな方のご意見を伺いたいものです。

こういう現実が存在すること。
或いは現実をこのように認識すること。
さらに或いは、問題をこのような形で提起し、活発に議論されること等々は、極めて日本的な現象のように思います。

私の仲間は、その根源に、このような日本文化を生み出し、維持し、育てている文化の遺伝子的な原因があり、それがミームであるとして、ミーム論の研究しており、今始まっている愛・地球博の会場で、ミーム世界博覧会2005と名付けた市民プロジェクトでシンポジウムなどを準備しております。

http://www.memeproject.jp/
http://www.memeproject.jp/hiki.cgi?%28EXPO%29Program

結果が出たら、また報告します。

日本の役割、硬直した官僚制、日本の公と私いろいろ

こんにちは、みなさん。

 ラトガーズ大学の院生の長田です。非常に多岐にわたって盛り上がっている議論に参加(乱入?)させていただきたいと思います。

*****
 日本の「国際貢献」や地位向上への動きについてですが、ぼくは、過去の失敗にすっかり怖気づいてしまった生徒がおずおずと昔のけんか相手が作ったグループで何か役目をもらおうとしているようなもの、と思っています。

 西田さんの「学級委員」という比ゆはとても興味深いものですね。学級委員にしてもらおうという考えで日本が国連や国際社会に関わるというあり方が、日本の「指示待ち」思考をよく表現しているように思います。国際社会への関与というものが、日本から見てここがおかしい、ここはこうあるのが正しい姿だ、といえない理由は、日本の敗戦だと思いますが単純すぎるでしょうか。

*****
 日本が国際社会での地位を高めるためには日本にあって他になかなかないものを国際社会に持ち出せることが重要だと思います。アメリカの場合、余りうまくいっていないですが、民主主義の輸出と軍事力の投入ですよね。他の国も日本にあって外国になかなかなく、外国に持ち出せるかもしれないものといえば、急速に達成できた経済成長のモデルと治安、政治的安定、非西洋であること、くらいだと思います。日本での成功を相手のニーズや特性に合った形で持ち出せるのであれば、日本の関与にもっと関心を持つ国も増えるのでしょうが、残念ながら今の日本は「わが国のような成功を収めるにはあなたの国にはこれが足りない」とある意味恥ずかしげもなく言い切れるだけの自信も準備もないのではないでしょうか?

 欧米にあって日本にないもので国際社会に役立つものを前の世代が作ってくれなかったので、「国際」関連で何かしたい日本人(学生)が欧米に出て行ってまねをしている、というのが現状ですが、そのままではただの欧米の後追いなので、いずれ手塚治虫や宮崎駿、はたまたトヨタやソニー、松下のように国際貢献、開発、国際政治学でも「日本ブランド」を作れるようになりたいものだと思います。

*****
 日本の国際的地位が必要以上に低い、という意識が(なぜか)私たちにはありますが、日本の対外的姿勢と国際的地位には関係があると思います。一つは独自の状況判断がない。もう一つはあまりに予測可能なことです。人間関係でもよく気がついて、何をすべきか自信を持って判断と決断ができて、てきぱきと物事をしてくれる人は評価されます。また、こちらの言うことを聞くに決まっていると思える人間よりも、下手をすると(またはきちんとお願いしないと)こちらが困ることをするかもしれない、やって欲しいことをしてくれないかもしれない人間の方が影響力は大きいです。逆に自分から何かをするわけでもなくて、いわれればそれなりにやるが、いなくても困らない人はどうでもいいわけです。「手がかからないいい子」というべきでしょうか。
 日本の認識と政策が欧米の後追いであり限り(常任理事国にしてもらう、という姿勢も<国際連合はアメリカなどが「作った」もので、国際社会のリーダーは国際機関を国際社会のニーズを考えて「作る」、「作っていく」ものではないでしょうか>)、関係者は日本の話を聞きに来る必要はないです。「日本から見て今の世界にはこれが足りない」といえる知的資源がもっと必要でしょう。
 日本の対外関係もアメリカの言うことを聞くに決まっている、と外国が思えば、アメリカと話せばいいですし、国際貢献といえばやりたがるに決まっている、と分かれば外国も国際機関も日本にお願いしに行く必要はないでしょう。日本の利害がアメリカと一致しているに決まっているのであればアメリカも日本を重視する必要はないです。ぼやぼやしていると日本の金は他に行ってしまう、説得できないと日本は既存の国際機関ではなく、オルタナティブな方法でやってしまう(一国主義、NGO,あるいは日本が国際機関を別に「作って」しまう)、ちゃんと説得しないと協力してくれない、という緊張感がもっと必要ではないでしょうか。

*****
 これと関連して、日本の官僚機構が政策的な柔軟性に乏しいこと、自己主張が弱いことが日本の存在感を低下させている、という問題ですが、もともと日本側が国際交渉に役人ばかり送り込みすぎている、ということはないでしょうか。また、日本の政策決定が官僚機構が自分たちのコンセンサスで作った政策に政治家の裁可を得る、という形式を取ることで、官僚機構に決定と政策の策定(政治と政策)の混同を招いているのではないか、とも思われます。
 もともと官僚の役割は、政策知識を提供して政治家の決定作成を「助け」、出てきた決定を執行するものと思います。たとえて言うと、官僚機構は政治家というツアー旅行幹事を助ける旅行会社やガイドではないでしょうか?ツアー団体が関心があって、また旅行可能な目的地を一通り提示し、選択肢に関わる費用や内容、経路等を教え、幹事に決定をゆだねる、細かい内容は旅行者の意向に沿うように自分で処理する、というのが仕事です。別なたとえをすると、理想は多彩なメニューを提示できて、どんな注文が来ても対応できる有能なシェフではないかと思います。
 しかし日本の政治の決定能力が弱いと官僚側としては決定の領域にも踏み込まざるを得ないということでしょうか。優柔不断だったり怠け者だったり、時間がなかったりでいつも「今日のおすすめメニュー」ばかり選ぶ客に料理を作り続けるシェフでしょうか。(明治維新で侍から官僚へと転進した統治エリートの系譜か、明治憲法体制下の官僚機構の伝統か、はたまた戦争責任で決定エリートが一掃されたせいか、いろいろを想像力をかき立てられます。)

 柔軟性にかける日本の対外政策プロセスの問題への対応を考えてみました。
 1.政党や政治家の政策決定機能を高め、国際交渉にとにかくもっと出させる
    言いにくいことや官庁のマジョリティと違うことを言ってもらう。

 2.政治的任用官吏を増やす。
    アメリカのように、政治性のあるポジションについては政権が任命
   する官僚を増やす。
 2の亜種として、
   官僚キャリアの天井を低くして、官庁で一定以上のポストを得るために
  公務員が退職して政権によって任用せねばならない制度と慣行にしてしまう。
  こうすると政党の政策エキスパートとしてリスクを取って官僚機構の上部に
  上るか、官庁内部で安定しているが低いポストに留まるかを官僚は選ぶこと
  になります。国際交渉には政治的任用官吏を出して人と政策の柔軟性を追求
  するわけです。一旦政治任用を受けた人はもちろん公務員には戻れないので、
  政権が倒れた後は政界か民間かで生きていってもらうわけですね。

 3.官僚機構に政策多元主義を明確にする。
   官庁内部での政策論議の公表を義務付け、複数意見を公表するプロセス
  をつくる。支持者、発案者はだれであるかを示して常に複数の政策オプション
  を政治家に提示することをルール化する。

 とりあえず上のような大きな変化なしに個人レベルでできることとして、日本の政策決定に影響力があると国外に思わせることができる政治家、エキスパート、ジャーナリストが、マジョリティとは違うが説得力のある意見を国際的に発信できるようになることがあります。国連などいらない、日米協調は日本の国益にならない、と言う意見が日本の政策に反映されるかもしれない、という認識を国外に持たせることのできるオピニオンリーダーの存在です。アメリカがこういうところがあるので得をしている面があるように思います。

*****
 上記とは関係ないのですが、「個人」と「私人」の区別と日本の歴史について。とりあえず、ここで議論されたのは日本の集団主義の問題ですよね?「集団」や「組織」に対するのは「個人」であり、(「衆」や「群」に対して「個」)、「私」に対するものが「公」というわけで、役所や政府がやるべき議論や仕事をしていない場合にはそれにいるのは「公」ではなく「保身に走る私人の群れ」ではないでしょうか?そういう「群れ」が「公」と等値にされてしまうのは危険に思いました。これは個人主義と市場主義の結合の知的産物だと思います。現在世代の多数者の意思が「公」とされてしまう市場型民主主義の限界は持続可能な開発やエコロジーの概念によって将来乗り越えられるものではないかと思います。

 日本の公的意識の欠落した、減点思考の集団主義がどのような歴史的経緯の産物かはよく知りませんし、日本に明確な個人主義があったとは思いませんが、無知を恐れず言えば、近代以前にも、むしろ、日本では近代以前により多く強烈な個人を見出すように思われますが、どうでしょうか?思想的には「葉隠」の大高慢と大慈悲はどうでしょうか?「葉隠」といえば「武士道とは死ぬことと見つけたり」というフレーズが有名ですが、その中で山本常朝は「大高慢」と称して、武士がお家のためにあえて衆意に逆らって義挙をなす不遜を称揚しています。またそのような振る舞いをあえてする武士の行動を導く原理は神仏への尊崇に啓発された「大慈悲」です。

 ついでにいうと、葉隠がしばしば誤解される上のフレーズ(「狂い死に」と略するのでますます誤解される)は、「生か死か、どちらがより義であるか」という道徳的ジレンマに立たされた時に、「生」よりは「死」につながる選択をせよ、そうすれば生き延びる選択が間違いであれば「卑怯」であるが、死ぬ選択が間違いであれば「気狂い」であっても大損であるから「卑怯」ではない、という思考法です。「減点されないように」ではなく「減点されてしまえ!」という究極のアンチ減点主義です。

 他にも戦国時代や幕末維新の方が戦後よりも圧倒的に強い自我と公的意識を持った個人を多く輩出しているように思います。思想の違いで殺しあった幕末の志士たちは強烈に「公」を追及する個人たちであったと思います。(国際会議に日本刀など危険物を持ち込むことを示唆しているわけではありません。)

*****
 ですから、仮説として、現代日本の私人たちの集団主義は近代以前とは断絶しているということです。では何がその起源かということですが、(日本の持続可能な農業の成立が集団主義の成立に一役買っているかもしれませんが)やはり戦後にあるのではないかと思います。
 戦争中の軍人の大言壮語と下克上、滅私奉公、いけいけどんどんといった風潮が敗戦によって粉砕され、その上に市場志向のアメリカの影響、マルクス主義の反ブルジョワ・反国家主義(マルクス主義者は現実の社会主義体制が行き詰まると「批判的」スタンスしかとりようがなくなった)が重なった結果ではないか、ということです。
 強烈な自我を持った個人も、強烈な正義や大義に突き動かされる、昔の言い方で言えば「国士」や「志士」はいつのまにかいなくなって、集団に依存する私人(形ばかりの「公」)とアトム化された個人(孤人?)の砂のような集合体ばかりが目立つ現代日本ですが、戦争の経験に懲りて、一つの極端からもう一つの極端へと行ってしまった観があります。先祖がえりして「死に狂い」しても解決にならないので、うまくバランスを取る必要があると思います。

 この日本の「公」と「私」の問題もまた日本が国際社会に何を持ち出せるか、という大きな課題の一つの例題ではないでしょうか。この日本のローカルな問題状況が西洋型の個人主義と市場主義を取り入れた結果であるなら、日本の歴史と伝統からの照射は西欧起源のこれらの思想の限界を乗り越えるグローバルな示唆を持つかもしれません。

 きらくな大学院生が適当に書きなぐったものですが、これだけ書いてだれにも見せないのももったいないと思いますから投稿させていただきます。


 最後まで読んでくださった方、おつかれさまでした。ありがとうございました。

       長田達也
Tatsuya Nagata
PhD Student in Global Affairs,
Center for Global Change and Governance,
Rutgers, State University of New Jersey, Newark

ふんじゃ何をするか

西田です。

中学生の娘がおりますもので、一点だけ。

>もし中高生に、話題にあった「常任理事国入り」の件で、
>いったい日本は何でこれを希望しているか、と問われたら何と答えれば良いのでしょうか。

力はあるけれど、経験のない子供に学級委員をやらせてみるようなもので、まずやってみれば、その立場が人を(国を)作るということもあるでしょう、と。

私はそのように説明しています。

逆に、やらないまま過去60年の立場を続けることが、マンネリ以外の何をもたらすのか、ということでもあります。

この試みは無謀でもなんでもなく、これまでの永きに渡るカネと汗は、それくらいの「お試し」を許してくれるだけのものではあるはずと考えます。百歩譲って今、この時点で素晴らしい絵は描けていないかもしれませんが、それでもなお。


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