2005/04/10

日本の役割、硬直した官僚制、日本の公と私いろいろ

長田さん、皆さん、柴田です。

>  ラトガーズ大学の院生の長田です。非常に多岐にわたって盛り上がっている議論に参加(乱入?)させていただきたいと思います。

将来のある若い人のご参加を歓迎します。(私は過去の人間です。)

>  日本の「国際貢献」や地位向上への動きについてですが、ぼくは、過去の失敗にすっかり怖気づいてしまった生徒がおずおずと昔のけんか相手が作ったグループで何か役目をもらおうとしているようなもの、と思っています。

私は1931年、15年戦争が始まった年の生まれですから、正におずおずと昔の喧嘩相手の連合国が作ったグループで何か役目をもらおうとしている典型です。常任理事国にさえしていただければ何でもおっしゃる通りにやります、と言った感じです。

>  西田さんの「学級委員」という比ゆはとても興味深いものですね。学級委員にしてもらおうという考えで日本が国連や国際社会に関わるというあり方が、日本の「指示待ち」思考をよく表現しているように思います。国際社会への関与というものが、日本から見てここがおかしい、ここはこうあるのが正しい姿だ、といえない理由は、日本の敗戦だと思いますが単純すぎるでしょうか。

単純が悪く、複雑が良いなどということはありませんが、政策として間違っていると思います。これは自己反省です。

>  日本が国際社会での地位を高めるためには日本にあって他になかなかないものを国際社会に持ち出せることが重要だと思います。

私はそうは思いません。発想の始まりが「自国の地位を高めるため」というのがそもそも間違いの根源だと思います。

万一そんな発想であることが、近隣(中国・韓国・ASEANなど)諸国に気取られたら、彼らはたちまち反発します。日本人の私も、そんな発想をする日本人ではありたくないです。やせ我慢ですが、もっと高潔で、私心のない日本に住みたいです。

> アメリカの場合、余りうまくいっていないですが、民主主義の輸出と軍事力の投入ですよね。

これがその通りであるかどうか、意見を留保しますが、そういう見方が今の世界のステレオタイプであるということなら、同感です。

> 他の国も日本にあって外国になかなかなく、外国に持ち出せるかもしれないものといえば、急速に達成できた経済成長のモデルと治安、政治的安定、非西洋であること、くらいだと思います。

これもステレオタイプですが、まあ、良しとしておきましょう。

> 日本での成功を相手のニーズや特性に合った形で持ち出せるのであれば、日本の関与にもっと関心を持つ国も増えるのでしょうが、残念ながら今の日本は「わが国のような成功を収めるにはあなたの国にはこれが足りない」とある意味恥ずかしげもなく言い切れるだけの自信も準備もないのではないでしょうか?

一般にはその通りですが、例外も少なくはありません。例えば、トヨタ生産方式などは、その例外の最たるものです。このことは、今や、世界の常識だと思います。
例えば、「トヨタはなぜ強いのか(日本経済新聞社)」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532149568/249-5602320-8997115

私達の市民プロジェクトは、愛・地球博で、このような議論を徹底的に、外国人も含めてやることにし、準備中です。

>  欧米にあって日本にないもので国際社会に役立つものを前の世代が作ってくれなかったので、「国際」関連で何かしたい日本人(学生)が欧米に出て行ってまねをしている、というのが現状ですが、そのままではただの欧米の後追いなので、いずれ手塚治虫や宮崎駿、はたまたトヨタやソニー、松下のように国際貢献、開発、国際政治学でも「日本ブランド」を作れるようになりたいものだと思います。

その心がけは立派です。期待します。

>  日本の国際的地位が必要以上に低い、という意識が(なぜか)私たちにはありますが、日本の対外的姿勢と国際的地位には関係があると思います。一つは独自の状況判断がない。もう一つはあまりに予測可能なことです。人間関係でもよく気がついて、何をすべきか自信を持って判断と決断ができて、てきぱきと物事をしてくれる人は評価されます。また、こちらの言うことを聞くに決まっていると思える人間よりも、下手をすると(またはきちんとお願いしないと)こちらが困ることをするかもしれない、やって欲しいことをしてくれないかもしれない人間の方が影響力は大きいです。逆に自分から何かをするわけでもなくて、いわれればそれなりにやるが、いなくても困らない人はどうでもいいわけです。「手がかからないいい子」というべきでしょうか。日本の認識と政策が欧米の後追いであり限り(常任理事国にしてもらう、という姿勢も<国際連合はアメリカなどが「作った」もので、国際社会のリーダーは国際機関を国際社会のニーズを考えて「作る」、「作っていく」ものではないでしょうか>)、
> 関係者は日本の話を聞きに来る必要はないです。「日本から見て今の世界にはこれが足りない」といえる知的資源がもっと必要でしょう。日本の対外関係もアメリカの言うことを聞くに決まっている、と外国が思えば、アメリカと話せばいいですし、国際貢献といえばやりたがるに決まっている、と分かれば外国も国際機関も日本にお願いしに行く必要はないでしょう。日本の利害がアメリカと一致しているに決まっているのであればアメリカも日本を重視する必要はないです。ぼやぼやしていると日本の金は他に行ってしまう、説得できないと日本は既存の国際機関ではなく、オルタナティブな方法でやってしまう(一国主義、NGO,あるいは日本が国際機関を別に「作って」しまう)、ちゃんと説得しないと協力してくれない、という緊張感がもっと必要ではないでしょうか。

おっしゃることは、一応ごもっともですが、そもそもの発想が、「日本の国際的地位が必要以上に低い、という意識が(なぜか)私たちにはありますが」から始まっているのが、間違いの元だと思います。

>  これと関連して、日本の官僚機構が政策的な柔軟性に乏しいこと、自己主張が弱いことが日本の存在感を低下させている、という問題ですが、もともと日本側が国際交渉に役人ばかり送り込みすぎている、ということはないでしょうか。また、日本の政策決定が官僚機構が自分たちのコンセンサスで作った政策に政治家の裁可を得る、という形式を取ることで、官僚機構に決定と政策の策定(政治と政策)の混同を招いているのではないか、とも思われます。
>  もともと官僚の役割は、政策知識を提供して政治家の決定作成を「助け」、出てきた決定を執行するものと思います。たとえて言うと、官僚機構は政治家というツアー旅行幹事を助ける旅行会社やガイドではないでしょうか?ツアー団体が関心があって、また旅行可能な目的地を一通り提示し、選択肢に関わる費用や内容、経路等を教え、幹事に決定をゆだねる、細かい内容は旅行者の意向に沿うように自分で処理する、というのが仕事です。別なたとえをすると、理想は多彩なメニューを提示できて、どんな注文が来ても対応できる有能なシェフではないかと思います。
>  しかし日本の政治の決定能力が弱いと官僚側としては決定の領域にも踏み込まざるを得ないということでしょうか。優柔不断だったり怠け者だったり、時間がなかったりでいつも「今日のおすすめメニュー」ばかり選ぶ客に料理を作り続けるシェフでしょうか。(明治維新で侍から官僚へと転進した統治エリートの系譜か、明治憲法体制下の官僚機構の伝統か、はたまた戦争責任で決定エリートが一掃されたせいか、いろいろを想像力をかき立てられます。)

想像力がなくても大体当てられる範囲ではないでしょうか?

以下、同じような提案が繰り返されるので、ここまでで中断します。
あまり建設的なコメントができませんでした。ご容赦ください。

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