2005/04/10

日本の役割と国益と課題

宮本さん、中村さん、西田さん、長田さん、柴田さんほかフォーラムの皆様。

                 田瀬@国連人間の安全保障ユニットです。

みなさんの一連のご議論には非常に示唆深いものがあると感じています。2週間ほど出張で空けましたので参加できませんでしたが、以下なるべく短く、私なりに考えてみたいと思います。

まず、安保理を含めて日本が世界の中で何をなすべきかというある意味根本的な問題については、私は「日本が正しいと考える道徳観や価値観を世界のルールとして確立すること」が一つの究極的な目標と考えています。そしてそうした道徳観や価値観を世界に押し付けるのではなく「国際社会の支持を獲得しつつ、かつこれをリードする」形で実現していく必要があると思うのですが、それは言うほど簡単なことではなく、先人から受け継いだ資産と遺産の両方の上に立ちながら、まだまだ国としても個人としてもがんばる必要があると感じます。

ずいぶん以前に開発フォーラムで「国益」に関する議論が盛んになされた時がありました。

その際に、近視眼的な国益と中長期的な国益は対立する考え方なのか、普遍的な価値観の実現といった長期的なビジョンは果たして本当に国益なのかといった議論がなされていましたが、フォーラムの多くの方々は普遍的価値観の実現の方が例えば短期的な経済的利益よりも重要だと考えておられる一方、国際社会からの道義的な支持や尊敬といった抽象的な「国際的立場」を求めるのはあまりにナイーブだといった議論があったのを記憶します(正確でなければごめんなさい)。

こうした議論に接して私が感じたのは、普遍的価値の実現という一見抽象的かつナイーブに見られがちな目標は、実は「国際社会の規範づくり」という冷徹な国家間のゲームと表裏一体で結びついているのではないかということでした。どこの社会でもそうですが、結局はルール(規範)をつくった者が全てに勝利するような気がします。アメリカが君臨しているのは最近の国際秩序づくりに勝利したからですし、イギリス・フランスが大国であるのも同様かと思います。逆に日本が経済的発展を享受しながらもその地位に満足していないとすれば、そうしたルールづくりに参画できていないという現実があるからではないでしょうか。

そして重要なことは、ただ単にルールづくりの勝負に勝てば良いということではなく(反対するやつは殺してしまうのでなく)、提示するルールについて国際社会の最大限の支持を獲得しつつ、これを実現すべきだということだと思います。このためには正しいと思う道徳観や価値観を一つひとつ実践して見せることがどうしても必要になります。この意味で、憲法前文に謳う「国際社会における名誉ある地位」というのは、私の中では、世界の人々が正しいと感じられる普遍的価値を実現し尊敬を得ることのみにとどまらず、それを規範として確立するという「ゲーム」に勝つことの両方を意味しています。

これを安保理の議論や国際的な議論の場における日本の能力にあてはめますと、安保理についてはまさに「ルールづくり」の場です。ここに参画しなければ結局は異なる価値観に従わざるを得ない可能性があり、最終的に国民の生命にかかわるという点で、常任理事国になることは極めて大きな意味があると思います。他方、問題は、常任理事国になって(1)国際社会が納得できるようなルールを提示できるか、またフォーラムでも議論になっているとおり(2)提示したとして議論を引っ張っていく能力があるかといった点でしょう。この点について私は、提示できる規範はあるが、議論をリードする能力についてはまだまだ不十分と感じます。

日本はさまざまな経験を通じ成長してきていると思います。日本人である私の価値観を客観的に見れば、いかなる社会でも通用する成熟したものであると自負します。歴史的背景、近隣諸国との関係、安全保障上の物理的制約などはあっても、単に物事をお金だけで解決すべきとは思っていないし、軍事的措置の前にやるべきことは山ほどあることを知っているし、最終的には武器を必要としない平和な世界を希求している点でも、日本とその人々の考え方は、ある意味で非常にバランスのとれたものと思われ、これを安保理を含む国際的な議論の場でパッケージにして出していくことには、私は大きな躊躇は感じません。特に安保理の機能が従来の軍事的安全保障から拡大されつつある今、日本が貢献できることは多いはずです。

問題はこうした価値観や規範を打ち出し議論をリードする意気込みと技術(特に概念をパッケージ化するマーケティング技術)において、あまりに課題が多いという点かと思います。語学力や個人の能力という点もあるだろうし、制度的にも不十分なところがたくさんあります。例えば官僚制度においては担当者が2年おきぐらいにクルクルと替わります。その結果国際社会から信頼される専門家を養成するような体制には残念ながらなっていません。私が携わっている「人間の安全保障」もその例といえ、日本の数少ない知的貢献とされていますが、このイニシアティブを最初から一貫して見ているのは緒方貞子さんという知的巨人お一人であり、どうしてもその力量に政府がぶら下がってしまっている状況があります。なんとかせねば。安保理はもっとたいへんだと思います。

なんか中途半端ですがとりあえずこの辺で三分間でしょうか。国家と個人の関係についてはまた別途投稿させて頂きたいと思います。

至らないところがあればご指摘下さい。

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