2005/04/28

政策評価雑感

DCフォーラム、NYフォーラムのみなさま
 ご無沙汰しております。よしはら@外務省です。
政策評価法の担当となり、説明責任をかかげる法律に舞い戻って参りました。不祥事のさなかに情報公開法令の担当をしていたので、法令上の説明責任を担保する立場としては、これで3年。以前の報道課、国内広報課を入れると5年あまり過ぎたことになります。先に環境条約等の条約体、国際機関の行財政に対する説明責任を果たさなければ納税者との関係から分担金、拠出金と言った予算をつけない云々の交渉を行って来た経緯もあって、自身の組織の説明責任をとうポストに就いたのはある意味で一貫性があるのかな、と考えています。このポストにつきまして約2か月いろいろ考えていることもありますので、徒然に書いてみます。最近はDAC評価の話等政府開発援助の政策評価、業績評価の論議も盛んですので、足しになればと考えます。
 政策評価は、各省庁でも研究が盛んで、各府省のHPでもトップに来ています。総務省の政策評価の総合窓口が非常に詳しいので渉猟してみて下さい。(閑話休題。かつて小官が外務省のHPを改革しYahoo!で入賞したときは、兎に角その存在を売って、ネットサーファーを引き寄せることが主眼でしたが、最近は、見られることが前提で一見地味でもバリアフリー等のネット環境に適合することが主眼となっています。広報をめぐる価値観も急速に変化しつつありますね。)
 政策評価法の世界は、要は企画立案、施行、評価のサイクルを試行錯誤することにより政策にめりはりをつける(外務省用語では「選択と集中」でしょうか。)ことにあります。すべて「とにかく一生懸命やっている」から「いい政策」で「すべて」「継続」という自己肥大な官僚組織はありえず、常に社会的役割の公私の分担を計りながら、厳しい定員と予算で、上記のサイクルの透明性を計ることで、常に自他から己の組織のあり方、政策の存在意義(優先順位、なぜその政策目的のために個々の事業を意図的に取捨選択したのか。)を問わせること主眼があります。
 民間に近い事業評価、明確な目標を立ててその達成度を計る実績評価、複合的な要素を様々な角度から分析する総合評価の3つのあり方(乱暴な定義ですが。)を各府省の特性に応じて使い分けていいので、国民にうまくそのサイクルを示す、その文書等の作成の過程で、自分の業務の政策全体の中の位置付け、自分の事業のスパン、スペックを個々の職員が確認するという重要な副作用ももっています。
 同法3条は、自分のことは自分がわかっているから自己評価をしなさい、但し、それは客観的にわかるように定量的に把握するか、学識経験者等第三者的な評価を心掛けて下さいというのがミソです。大枠を提供し、あとは府省で担保して下さい、結果は厳しく観ますよ、というのが現代的な法律だなあと考えます。
 このような考え方は、英米法系の国々で盛んになり、英米はある程度大胆な試行が繰り返されています。我が国に取って着眼すべきは、行政組織は無誤謬ではなく絶えず錯誤試行するという景気や社会的な価値観の変遷による公私の役割の見直しにあると考えています。
 内閣府の財政諮問会議等で政策評価を予算や定員と連動させたいとする試みが始まっていることも注目に値します。
 政策評価法も情報公開法と並んで法令の見直しの時期に来ていますが、要は上記のサイクルや内部の意思決定が常に紙で残され、起案者、決裁者を含む情報がいずれ白日に出るのだ、それらは業務外の片手間でやることでなくて、ゆくゆくは自分の業務の存亡、帰趨がそれによって左右されるのだと言うところまで意識が及ぶことが狙いなのでしょうか。
 以上徒然にポイントをまとめてみました。それぞれのフォーラムの議論の足しになれば幸いです。
よしはらけんご拝@外務省+子育て奮闘中

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